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エクスマス子爵

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エクスマス子爵: Viscount Exmouth)は、イギリスの子爵貴族連合王国貴族爵位。アメリカ独立戦争ナポレオン戦役に従軍した海軍軍人エドワード・ペリュー提督が1816年に叙位されたことに始まる。

概要 エクスマス子爵 Viscount Exmouth, 創設時期 ...
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歴史

要約
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子爵家のかつての邸宅カノンテイン・ハウス英語版

エドワード・ペリュー(1757-1833)アメリカ独立戦争フランス革命戦争ナポレオン戦役に従軍した海軍軍人である[1][2]。彼は座礁した東インド会社貿易船の乗組員救助の功績から1796年12月8日に「(トレヴェリーの)準男爵(Baronet, of Treverry)」を授けられた[1][3]。また、地中海艦隊司令長官在職中の1814年6月1日にも「デヴォン州カノンテインのエクスマス男爵(Baron Exmouth, of Canonteign in the County of Devon)」に叙されている[1][4][5][3]。ペリューは続く1816年にバーバリ諸国に対して英蘭連合艦隊を率いて出撃しアルジェ砲撃を行ったのち、市内にいたキリスト教徒奴隷を解放した[1][2]。この武勲によって同年12月10日に「エクスマス子爵(Viscount Exmouth)」を得て、子爵家の始祖となった[4][3][6]

その子の2代子爵ポウノル(1786-1833)は海軍勤務後は政界に転じて、ローセストン選挙区英語版選出の庶民院議員を務めた人物である[7]。彼は父より襲爵後わずか11ヶ月で死去したため、その息子エドワードが爵位を襲った[4][8]

その3代子爵エドワード(1811-1876)が男子のないまま没すると、爵位は同名の甥エドワード(4代子爵、1861-1899)が相続した[9][4]。しかし、その子の5代子爵エドワード(1890-1922)ののちは2代子爵の系統も途絶えたため、爵位は遠縁ヘンリー・ペリュー英語版に継承されている[注釈 1][4]

ヘンリー(1828-1923)1873年アメリカ合衆国に帰化していたほか、襲爵した際には94歳という高齢であった[10]。そのため、彼が襲爵から半年後に死去すると、長男チャールズが爵位を相続した[4]。その7代子爵にも子がなかったことから、爵位は親族エドワードが継承した[注釈 2][4]。以降は8代子爵エドワード(1868-1951)の直系男子によって爵位は継承され続けている[4]

8代子爵の孫の10代子爵ポール(1940-)スペイン政府英語版スペイン語版より母の帯びていたオリアス侯爵スペイン語版[注釈 3]の継承を許された[11]。そのため、彼以降の子爵家当主はスペイン貴族爵位も併せ持つこととなった。その彼が2021年現在の子爵家現当主である。

紋章に刻まれるモットーは二つあり、上部に『神こそ我が助け(Deo Adjuvante)』の言葉が、下部に初代子爵のアルジェ砲撃の功から『Algiers』の文字が刻まれる[4][12]

一族のかつての邸宅は、デヴォン州エクセターに程近いカノンテイン・ハウス英語版(Canonteign House)があった[12]

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現当主の保有爵位

現当主である第10代エクスマス子爵ポール・ペリューは以下の爵位を有する[4]

  • 第10代エクスマス子爵(10th Viscount Exmouth)
    1816年12月10日の勅許状による連合王国貴族爵位)
  • 第10代デヴォン州カノンテインのエクスマス男爵(10th Baron Exmouth, of Canonteign in the County of Devon)
    1814年6月1日の勅許状による連合王国貴族爵位)
  • 第10代(トレヴェリーの)準男爵(10th Baronet, of Treverry)
    1796年12月8日の勅許状によるグレートブリテン準男爵位)

海外爵位

エクスマス子爵(1816年)

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初代子爵を描いた肖像画。
  • 初代エクスマス子爵エドワード・ペリュー (1757–1833)
  • 第2代エクスマス子爵ポウノル・ペリュー英語版 (1786–1833)
  • 第3代エクスマス子爵エドワード・ペリュー英語版 (1811–1876)
  • 第4代エクスマス子爵エドワード・フリートウッド・ジョン・ペリュー英語版 (1861–1899)
  • 第5代エクスマス子爵エドワード・アディントン・ハーグレイヴス・ペリュー英語版 (1890–1922)
  • 第6代エクスマス子爵ヘンリー・エドワード・ペリュー英語版 (1828–1923)
  • 第7代エクスマス子爵チャールズ・アーネスト・ペリュー英語版 (1863–1945)
  • 第8代エクスマス子爵エドワード・アーヴィング・ポウノル・ペリュー (1868–1951)
  • 第9代エクスマス子爵ポウノル・アーヴィング・エドワード・ペリュー (1908–1970)
  • 第10代エクスマス子爵ポール・ペリュー (1940- )

爵位の法定推定相続人は、現当主の息子エドワード・ペリュー閣下(1978-)[4]

系譜図

初代エクスマス子爵
エドワード・ペリュー

(1757-1833)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第2代エクスマス子爵
ポウノル・ペリュー英語版

(1786-1833)
サー・フリートウッド・ペリュー
(1789–1861)
ジョージ・ペリュー英語版閣下
(1793–1866)
エドワード・ペリュー閣下
(1799–1869)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第3代エクスマス子爵
エドワード・ペリュー英語版

(1811-1876)
パーシー・ペリュー閣下
(1814–1848)
ポウノル・ペリュー閣下
(1823–1851)
フリートウッド・ペリュー閣下
(1830–1866)
バリントン・ペリュー閣下
(1833–1858)
トマス・ペリュー
(1818–1819)
第6代エクスマス子爵
ヘンリー・ペリュー英語版

(1828-1923)
ポウノル・ペリュー閣下
(1837–1872)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第4代エクスマス子爵
エドワード・ペリュー英語版

(1861-1899)
ウィリアム・ペリュー
(1859–1923)
第7代エクスマス子爵
チャールズ・ペリュー英語版

(1863-1945)
第8代エクスマス子爵
エドワード・ペリュー

(1868-1951)
 
 
 
 
 
 
第5代エクスマス子爵
エドワード・ペリュー英語版

(1890-1922)
第9代エクスマス子爵
ポウノル・ペリュー

(1908-1970)
 
 
 
 
第10代エクスマス子爵
ポール・ペリュー

(1940-)
 
 
 
 
(爵位の法定推定相続人
エドワード・ペリュー閣下
(1978-)
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脚注

参考文献

関連項目

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