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エソンヌ県
フランスの県 ウィキペディアから
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エソンヌ県(エソンヌけん、Essonne)は、フランスのイル=ド=フランス地域圏にある行政区分番号91番の県。オー=ド=セーヌ県、ヴァル=ド=マルヌ県、セーヌ=エ=マルヌ県、ロワレ県、ウール=エ=ロワール県、イヴリーヌ県に隣接する。北部はほぼパリの都市経済圏に属し再開発が進んでいるが、南部は未だに地方色を濃く残している。県名の由来は圏域を流れるエソンヌ川 fr:Essonne (rivière) に因んで名づけられた。
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歴史

1964年7月に発布された基本法に基づき、1968年1月1日にセーヌ・エ・オワーズ県を解体した際に、その南部を母体として新たに構成された。
1969年にはコミューンのシャトウフォルとトゥッス・ドゥ・ノーブルがイヴリーヌ県に編入された。
エヴリーの県庁が建設されるまでは、暫定的にコルベイユ=エソンヌを県庁所在地としていた。
行政
エソンヌ県は3つの郡(arrondissement)から成り、更にその下にの42の小郡(canton)があり、全体で196のコミューンが存在する。
人口統計
日本との関わり
戦前戦後を通じてフランスで活躍した日本人画家、藤田嗣治は1961年にパリからこの地へ移り住み、その農家を改造した「メゾン・アトリエ・フジタ」は藤田の終の住処となった。彼の邸宅は現存し、1991年に未亡人の君代夫人から県へと寄贈、現在も同県の管理下にある。調度品等も往時のままで日本語での解説コーナーもある。1994年にフランスの歴史的建造物に指定され、2000年秋からは一般にも公開されている。
所縁のある芸術家・作品等
- ジョルジュ・ビゴー:日本から帰国して以来、晩年をここで過ごした。
- ジャン・コクトー:晩年をここで過ごした。墓碑も同県のミリー・ラ・フォーレにある
- クリスチャン・ディオール:お気に入りの別荘がミリー・ラ・フォーレにあり、その街の名を関した作品もある
- クロード・モネ:モンジェロンに立ち寄った際に、この辺りを描いた絵画が数枚ある
- ギュスターヴ・カイユボット:幼少時に過ごしたイエールの思い出を『田舎の肖像』等に描いている
- 『とある庭角』
Coin de jardin à Montgeron
モネ画 (1876) - 『田舎の肖像』
Portraits à la campagne
カイユボット画 (1876) - コクトー邸
ミリー・ラ・フォーレに現存
日本の姉妹協定自治体
- 茨城県(昭和61年4月22日 締結)
脚注
外部リンク
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