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エドマンド・ベーコン (レッドグレイヴの第6代準男爵)
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第6代準男爵サー・エドマンド・ベーコン(英語: Sir Edmund Bacon, 6th Baronet、1680年ごろ – 1755年4月30日)は、グレートブリテン王国の政治家。トーリー党に所属し、庶民院議員(在任:1710年 – 1715年、1728年 – 1741年)を務めた[1][2]。
生涯
第5代準男爵サー・ロバート・ベーコンと妻エリザベス(Elizabeth、旧姓チャンドラー(Chandler)、1686年12月21日没、ダニエル・チャンドラーの娘)の息子として[3]、1680年ごろに生まれた[1][2]。1697年5月5日、ケンブリッジ大学ペンブルック・カレッジに入学した[4]。1704年1月31日に父が死去すると、準男爵位を継承した[3]。高祖父の初代準男爵サー・ニコラス・ベーコンはイギリス史上はじめて準男爵に叙された人物であり[3]、エドマンドは準男爵位継承とともにイギリスの首席準男爵(premier baronet)になった[1]。しかし、ベーコン準男爵家は父である5代準男爵の代に債務が重なり、1703年ごろには本領のレッドグレイヴが債権者に売却された[1]。
1710年12月、第4代準男爵サー・トマス・ハンマーの支持を受けてセットフォード選挙区の補欠選挙に出馬、当選を果たした[5]。議会ではトーリー党所属とされたが、1711年12月にホイッグ党による「スペインなくして講和なし」の動議に賛成票を投じた[1]。
1712年の結婚で3,500ポンドの財産を得て[1]、1713年イギリス総選挙でトーリー党候補としてノーフォーク選挙区で当選した[6]。1713年から1715年までの投票記録はなかったが、ハンマーと同じ立場をとったとされた[1]。1715年イギリス総選挙では出馬しなかったが[2]、1728年6月にノーフォーク選挙区の補欠選挙で当選して議員に返り咲いた[7]。2度目の議員期では常に野党の一員として投票した[2]。1734年イギリス総選挙では激しい選挙戦の末、ホイッグ党候補2名を下してトップ当選(得票数3,224票)したが、1741年イギリス総選挙ではトーリー党とホイッグ党が選挙戦の出費を避けて妥協し、1議席ずつ指名した[7]。これにより、ベーコンは立候補せず、議員を退任した[2]。
1755年4月30日に死去した[3]。息子がおらず、準男爵位は初代準男爵にたどった遠戚リチャード・ベーコンが継承した[3]。
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家族
1712年11月27日、メアリー・ケンプ(Mary Kemp、1727年9月14日没、第3代準男爵サー・ロバート・ケンプの娘)と結婚[3]、4女をもうけた[1][2]。
出典
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