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エミリー・シャンクス
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エミリー・シャンクス(Emily Shanks、ロシア語名: Emiliya Yakovlevna Shanks、ロシア語名音訳:エミリャ・シャンクス、1857年8月1日 - 1936年1月13日)は、モスクワ生まれのイギリス人画家である。ロシアの移動美術展協会(通称「移動派」)の会員に選ばれた最初の女性画家となった。
略歴
モスクワで生まれた。父親のジェームズ・ステュワート・シャンクス(James Steuart Shanks:1826–1911)は,ロンドンの馬車製造業者の息子で1852年からモスクワで、スウェーデン人のHenrik Conrad Bolinと宝飾品や雑貨を扱う「Shanks & Bolin」を設立して成功した人物である[1] 。エミリー・シャンクスを含む娘たちはモスクワの知識人と交流することができた。
姉のルイーズ(Louise Maude:1855–1939)は夫のアイルマー・モード(Aylmer Maude: 1858–1938)とともに、レフ・トルストイの小説の優れた英語への翻訳をしたことで知られている。妹のメアリー(Mary Shanks: 1866-1949)も絵を学び、トルストイの長女で画家でもあったタチヤナ・トルスタヤ(Tatiana Tolstaya: 1864–1950)の友人になった。エミリーもトルストイ家を訪れた記録がある[2][3]。
エミリー・シャンクスは1882年頃からモスクワ絵画・彫刻・建築学校で絵を学び始め、「移動派」の主要メンバーであるヴァシーリー・ポレーノフやウラジーミル・マコフスキー、イラリオン・プリャニシニコフから指導を受け、1890年に卒業した[4]。
画家でイラストレータのエレーナ・ポレーノヴァ(1850-1898)と彼女の兄の風景画家のヴァシーリー・ポレーノフと友人になり、エミリーと妹のメアリーはポレーノフらとともに写生旅行をした。1891年にエミリー・シャンクスの作品が「移動派」の展覧会に受理され展示された。この作品は皇后アレクサンドラ・フョードロヴナに注目されたとヴァシーリー・ポレーノフが手紙で妻に伝えている[5]。
1892年の「移動派」の展覧会に出展された作品はイリヤ・レーピンに賞賛され、その後有力な美術品収集家のパーヴェル・トレチャコフに購入され、現在もトレチャコフ美術館に所蔵されている。1894年に「移動派」の最初の女性の正会員に選ばれた[6]。
1891年から1915年の間、19回の展覧会に出展し、モスクワ芸術家連合などの展覧会に出展した。
第一次世界大戦が始まると、エミリーやシャンクス家のメンバーはロンドンに戻り[7]、ロシア革命によって、邸宅や事業は失われた。エミリー・シャンクスは1916年と1918年のロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの夏の展覧会に作品を出展した[8]。
1936年にロンドン中心部のケンジントンで78歳で亡くなった。
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作品
- 人形のお母さん (c.1900)、個人蔵
- ヴァシリー・ポレーノフの娘の肖像画(1890/1900)
- 少女 (1880/1915)、個人蔵
- きゅうりを摘む少女、個人蔵
- 学校の新入生 (1892)
トレチャコフ美術館 - 家庭教師の面接、Tyumen Regional Museum of Fine Arts
- 病院の耳の検査
Chelmsford Museum
脚注
参考文献
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