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エメリッヒ・フォン・アルコ・アオフ・ファーライ

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エメリッヒ・フォン・アルコ・アオフ・ファーライ
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エメリッヒ・フォン・ウント・ツー・アルコ・アオフ・ファーライEmmerich Graf von und zu Arco auf Valley, 1852年2月8日 ミュンヘン - 1909年7月14日 ペトロポリス)は、ドイツの外交官。伯爵。駐日ドイツ特命全権公使(在任1901年 - 1906年)などの大使職を歴任した。

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エメリッヒ・フォン・アルコ・アオフ・ファーライ伯爵

生涯

バイエルン王国の大地主・政治家マクシミリアン・フォン・アルコ・アオフ・ファーライ伯爵とその妻の伯爵令嬢アンナ・マレスカルキ(1813年 - 1885年)の間の第8子、末息子として生まれる。1870年・1871年普仏戦争に従軍。法学を学び、1879年から1880年までミュンヘンで弁護士として働く。その後外交官に転じ、在ブリュッセル公使館書記官(1880年 - 1881年)、在ローマ大使館書記官(1882年 - 1885年)、駐アレクサンドリア総領事(1886年 - 1888年)、在マドリード大使館首席書記官(1888年 - 1891年)、在ロンドン大使館首席書記官(1891年 - 1897年)を務める[1]

駐日全権公使(1901年 - 1906年)、駐ギリシャ全権公使(1906年 - 1908年)、駐ブラジル全権公使(1898年 - 1900年、1908 - 1909年)を歴任。駐日全権公使在任中、ドイツ東洋文化研究協会会長を務めた[2]。2度目の駐ブラジル全権公使として赴任してまもなく、心不全で急死した[3]

クルト・アイスナーの暗殺犯アントン・フォン・アルコ・アオフ・ファーライは甥にあたる。

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参考文献

  • Erwein Freiherr von Aretin: Arco-Valley, Emmerich Graf von. In: Neue Deutsche Biographie (NDB). Band 1, Duncker & Humblot, Berlin 1953, ISBN 3-428-00182-6, S. 337

引用

関連項目

外部リンク

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