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エルベ川

ヨーロッパの川 ウィキペディアから

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エルベ川(エルベがわ、ポーランド語: Łabaポーランド語発音: [ˈwaba]チェコ語: Labeチェコ語発音: [ˈlabɛ]ドイツ語: Elbe低ザクセン語: De Elv)は、チェコ北部およびドイツ東部を流れ北海へと注ぐ国際河川である。全長約1,091kmはヨーロッパでは14番目に長く、このうち727kmがドイツ国内を占める。

概要 エルベ川, 水系 ...
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流域
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ザクセンスイス、ドイツ
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ハンブルク港、ドイツ
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地理

ポーランド、チェコ国境地帯ズデーテン山地に源を発し、チェコ北部、ドイツ東部を北へ流れ、ハンブルクから110キロメートル北西のクックスハーフェン付近(北緯53度55分20秒 東経8度43分20秒)で北海ワッデン海[1])に注ぐ。中下流域は北ドイツ英語版の古代モレーンU字谷地形のエルベ・ウーアシュトロームタールドイツ語版であり、随所に沖積平野が見られる[2]

ハンブルク南東付近にはエルベ・リューベック運河英語版が延び、バルト海南西部リューベック湾との間を結んでいる。河口付近にはキール運河があり、バルト海のキール湾に接続している。

下流域は温帯海洋性気候に属する。ドイツのザクセン=アンハルト州ブランデンブルク州ニーダーザクセン州メクレンブルク=フォアポンメルン州シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州の5つの州を跨ぐエルベ川流域はユネスコ生物圏保護区に指定されている[2]。また、流域の湿地コハクチョウオオハクチョウヒシクイマガンクロヅルハシビロガモオナガガモホシハジロなどが生息しているため[3][4]、ザクセン=アンハルト州の「アラント・エルベ低地ドイツ語版イェリホードイツ語版のエルベ氾濫原[3]、ニーダーザクセン州の「エルベの氾濫原、シュナッケンブルクドイツ語版ラウェンブルクドイツ語版[5]と「エルベ下流部ドイツ語版バルンクルークドイツ語版オッテルンドルフ[6]、ハンブルクの「ミューレンベルガー・ロッホドイツ語版[4]ラムサール条約登録地である。

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歴史

かつてゲルマン系アレマン人が原住地のスカンジナヴィア半島およびユトランド半島から南下して、エルベ川流域に在住していたが、3世紀ごろにローマ帝国に侵入するために、地形的に便利な西部ドイツのライン川の上・中流域に民族移住した。

また、スラヴ系西スラヴ人)のソルブ人も先住民として在住していたが、次第にドイツ人と同化した。さらに北西ドイツ地域からザクセン人の一派も移住してきた[7]

19世紀までは、エルベ川がヨーロッパ西を隔てる、大きな境界線の一つであった。エルベ以東の代表的な国がプロイセン王国オーストリア・ハンガリー帝国ロシア帝国。一方以西の国はフランスイギリスなどでエルベを挟んで、地域の実情が大きく異なっていた。代表的なのが農奴の存在であるが、西では近世初期に農奴の解消が終わったのに対して、東では、19世紀初頭から中ごろまで農奴が存在した(グーツヘルシャフト)。

第二次世界大戦当時の1945年4月には、東西からドイツに進軍していた、赤軍アメリカ軍が、流域のトルガウで出会い、恒久平和を誓い合ったという「エルベの誓い」の舞台となった。

2004年、ドレスデン近郊の流域において優れた文化的景観が評価され、「ドレスデン・エルベ渓谷」として世界遺産に登録されたが、2009年6月25日、景観を損ねる橋の建設を理由に、世界遺産リストから削除された。

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流域の都市

支流

下流より記載

災害

2002年にエルベ流域の各地で増水が発生した。プラハ、ドレスデンの大部分が浸水する被害となったこの大洪水の原因は、旧東欧の灌漑インフラの老朽化が原因の一つと言われており、ドイツ、チェコ両政府は情報交換、灌漑インフラの充実、監視体制の強化など協力し合って、洪水の再発防止に努めている。

環境

エルベ川には産業排水として水銀、カドミウム、鉛などの重金属、塩化物が流入し、汚染されたまま北海へ注いでいた。そして、今日においても北海に注ぐ大河の中で最も汚染された川と指摘されている。

脚注

関連項目

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