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エルヴィン・ヘイズ
アメリカのバスケットボール選手 (1945 - ) ウィキペディアから
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エルヴィン・アーネスト・ヘイズ (Elvin Ernest Hayes, 1945年11月17日 - ) は、アメリカ合衆国・ルイジアナ州レイビル出身の元プロバスケットボール選手である。NBAのワシントン・ブレッツでウェス・アンセルドとともに1978年のチャンピオンシップ優勝の大きな原動力となった。高い身長を活かし、リバウンドを制し、攻撃・防御の要となった名選手である。1990年にバスケットボール殿堂入りした。
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経歴
カレッジ時代
ヘイズは地元のブリットン高校でバスケットのキャリアをスタートさせた。高校時代からその才能は際立っており、州のチャンピオンシップに進出する原動力となった。1965年に卒業すると、ヒューストン大学に進学しバスケットを続けた。大学では1年目平均27.2ポイント、16.9リバウンド、2年目28.4ポイント、15.7リバウンド、3年目36.8ポイント、18.9リバウンドという数字を残している[1] 。1968年にはスポーティングニュース誌からプレイヤー・オブ・ザ・イヤーに選ばれている。 彼のカレッジ時代の背番号44番はヒューストン大学の永久欠番になっている。
NBA時代
1968年に卒業したヘイズはその年のNBAドラフトで当時「サンディエゴ・ロケッツ」の名称だった現在のヒューストン・ロケッツに1巡目全体1位で指名を受け入団する。チーム状態は決してよくなかったが、ヘイズは期待通りの活躍をみせ、1年目のシーズンでは平均28.4ポイントを上げて新人ながらその年の得点王になった(ルーキー・オブ・ザ・イヤーはドラフト全体2位指名だったボルティモア・ブレッツのウェス・アンセルドが獲得した)。 さらに、2年目のシーズンではトータルリバウンド1,386、ゲーム平均16.9リバウンドをあげてリバウンド王に輝いた。
1972年にヘイズはボルティモア・ブレッツにトレードされる。ブレッツには当時ウェス・アンセルド、アール・モンローらがおり1975年・1978年・1979年と3度NBAファイナル進出を成し遂げる。1978年にはヘイズの活躍もありシアトル・スーパーソニックスを破って優勝を果した。
1980-81シーズンまでブレッツでプレーしたヘイズは、1981年に古巣のヒューストン・ロケッツにトレードされる。既にキャリアは最終盤に近かったが、1984年に引退するまで彼はゲーム平均15ポイント以上をあげた。
ヘイズは1990年に殿堂入りを果し、また1996年にはNBAの50周年を記念して選ばれた「NBA偉大な50選手」の一人にも選出された。
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個人成績
レギュラーシーズン
プレーオフ
記録
- 得点:27,313(史上11位)
- リバウンド:16,279(史上4位)
- FG成功数:10,976(史上9位)
- 出場分数:50,000(史上7位)
ワシントン・ウィザーズのフランチャイズ記録
- 出場試合:731(2位)
- 出場分数:29,218(2位)
- 得点:15,551(1位)
- リバウンド:9,305(2位)
- スティール:736(3位)
- ブロック:1,558(1位)
- FG成功数:6,251(1位)
- FT成功数:3,046(1位)
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関連項目
脚注
外部リンク
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