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エーゲリア

ローマ神話に登場する水のニュンペー ウィキペディアから

エーゲリア
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エーゲリア古希: Ηγερία : Egeria)は、ローマ神話における泉のニュンペーである[1]王政ローマの第2代の王ヌマ・ポンピリウスの妻であり助言者だったことでよく知られている。エゲリアとも表記される[2]

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クロード・ロラン画『ヌマの死を悼むエゲリア』(1669年)

概要

エーゲリアの神域とされた木立ちに水かミルクを捧げると、知恵と予言を授けてくれるとされていた。その場所の近くには3世紀にカラカラ浴場が建てられている。エーゲリアという名は「黒いポプラの」という言葉から派生したという説がある。ローマ人はエーゲリアとディアーナを結びつけ、妊婦が産気づいたときにその名を呼んで助けを求めると、出産を見守って助けてくれるとされた。これはギリシア神話におけるエイレイテュイアアルテミスの関係に似ている。

その後ローマ人はエーゲリアをカメーナの1柱とした。カメーナとはギリシア神話のムーサと同一視された神々である。ローマは文化的にはギリシアに支配されたため、ハリカルナッソスのディオニューシオスはエーゲリアをムーサの1柱としている (ii. 6o)。

アリーキア

エーゲリアはローマ神話以前から存在していた可能性がある。ラティウムアリーキアに太古からの神聖な森があり、そこがエーゲリア信仰の起源とされている。この森は Diana Nemorensis(ディアーナ・ネモレーンシス)の森と同一だとされていた。アリーキアではエーゲリアに対応する男神マーニウス・エーゲリウス (Manius Egerius) も信仰されていた[3]

エーゲリアは王政ローマの第2代王でサビーニー人のヌマ・ポンピリウスのニュンペーとしての配偶者だったという伝説があるため[4]、ローマと結び付けられるようになった。ユウェナーリスの記した伝説によると、ヌマ・ポンピリウスはエーゲリアの神聖な木立ちで彼女と会い、そこで彼女がヌマに賢明で正しい王になる方法を教えた(ティトゥス・リーウィウス i. 19)。そしてヌマはエーゲリアからローマの宗教的構成の原則を教えられたとしているが、ユウェナーリスの時代にはその様な伝統が厳しい批判にさらされていた[5]。ヌマが亡くなるとエーゲリアはに変化したとされている[6]

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ローマ

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Ninfeo d'Egeria、アッピア・アンティーカ公園、ローマ

ヌマがエーゲリアと会っていたという神聖な木立ちは、セルウィウス城壁カペーナ門のすぐ側にあった。紀元2世紀にヘーローデース・アッティクスがその側にあったウィッラを相続し、自然の地形を生かした地所として作り直した。このとき自然の洞窟を改造してアブシスを終端とするアーチにし(写真参照)、その壁龕にエーゲリアの像を設置した。その表面を緑色と白の大理石で装飾し、床には緑色の斑岩を敷き詰め、モザイクによるフリーズを施した。これを Ninfeo d'Egeria と呼ぶ。また、アルモーネ川に注いでいた数ある泉の1つから水をひいて Lacus Salutaris(健康の湖)と呼ばれる大きなプールを作った。ユウェナーリスは建築によって人工的に装飾された様を次のように嘆いている(『風刺詩集』3巻 1720)。

Nymph of the Spring! More honour’d hadst thou been,
If, free from art, an edge of living green,
Thy bubbling fount had circumscribed alone,
And marble ne’er profaned the native stone.William Gifford 訳)

この ninfeo は19世紀のローマでは人気のピクニックの場所だったし、現在もアッピウス街道ラティーヌス街道に挟まれたアッピア・アンティーカ公園に存在している[7]

古典作品

脚注

関連項目

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