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カエソ・ドゥイリウス

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カエソ・ドゥイリウスまたはドゥイッリウスラテン語: Kaeso DuiliusまたはDuillius、生没年不詳)は紀元前4世紀共和政ローマの政治家・軍人。紀元前336年執政官(コンスル)を務めた。

概要 カエソ・ドゥイリウス Kaeso Duiliuss, 出生 ...

出自

プレブス(平民)であるドゥイリウス氏族の出身。ドゥイリウス氏族が初めて歴史に現れるのは、紀元前470年護民官マルクス・ドゥイリウスであり、カエソ・ドゥイリウスは氏族としては初の執政官である。同じ氏族の出身である紀元前260年の執政官ガイウス・ドゥイリウスノウス・ホモ(先祖に高位高官を持たない)とされているため、カエソの直系の子孫ではないと思われる。

執政官(紀元前336年)

紀元前336年、ドゥイリウスは執政官に就任、同僚執政官はルキウス・パピリウス・クラッススであった[1]。この年の主なできごとは、カレス(en、現在のカルヴィ・リゾルタ)を中心としたアウソニ族(en)がシディキニ族(en)と同盟してローマに反乱したことであった。ローマはアウソニとシディニキに勝利し、敗走させた。

野戦での勝利後、クラッススとドゥイリウスは敵兵を積極的には追撃しなかった。しかしながら、元老院は、これまで度々ローマに敵対していたシディキニに嫌悪感を抱いており、これを追撃しなかった両執政官に対して冷淡であった。このため、元老院は翌年の執政官で著名な将軍であるマルクス・ウァレリウス・コルウスにカレス周辺での作戦を担当させ(通常、各執政官の担当戦線はくじ引き)、クラッススはカレスを包囲し陥落させた[2]

三人委員会(紀元前334年)

2年後の紀元前334年、ドゥイリウスはカレスに2,500人を入植させるための三人委員会の一人となった。同僚はティトゥス・クインクティウスとマルクス・ファビウスであった[1]。カレスは前年に独裁官コウルスが占領していた街であった[3]

脚注

参考資料

関連項目

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