トップQs
タイムライン
チャット
視点

カール・フリードリヒ・ゲルトナー

ウィキペディアから

Remove ads

カール・フリードリヒ・ゲルトナードイツ語: Karl Friedrich Geldner1852年12月17日 - 1929年2月5日)は、ドイツ東洋学者ヴェーダアヴェスターの研究で知られる。

概要 人物情報, 生誕 ...

経歴

1852年、ザールフェルトに生まれた。1871年ライプツィヒ大学に入学してサンスクリットアヴェスター語を学んだ後、テュービンゲン大学に移ってルドルフ・フォン・ロートヴェーダ文献学を学んだ[1]1875年にリグ・ヴェーダの訳注で[2]テュービンゲン大学の博士の学位を得た[3]

はじめテュービンゲン大学で教えた。肩書きは教授だったが無給だったため[1]1887年にはリヒャルト・ピシェルのいるハレ大学私講師に移り、1890年に員外教授に昇任した。同年ベルリン大学に移った。1907年マールブルク大学の正教授に就任し、1921年に退官した後も教えつづけた[4]。1929年に死去。

主な業績

要約
視点

学生時代の1874年に書いた懸賞論文で、後期アヴェスターの文章の多くが韻文になっており、その多くは8音節が1句になっていることを指摘した。

ゲルトナーはヴェスタゴー版にかわる『アヴェスター』の校訂版を公刊した(全3巻)。その序論(Prolegomena)では『アヴェスター』の書誌について詳細に述べている。

ハレ時代にはリヒャルト・ピシェルと共著で『ヴェーダ研究』(全3巻、1889-1901)を出版した。ゲルトナーは師であるロートと異なり、インドの伝統的なヴェーダ注釈やインドの文学的伝統との関係を重んじた[1]

マールブルク時代には『リグ・ヴェーダ』の訳注の作業に専心したが、この大著は生前には印刷されなかった。全3巻が出版されたのは1951年だった。

  • Der Rig-Veda aus dem Sanskrit ins Deutsche übersetzt. London, Wiesbaden. (1951)

その他:

ゲルトナーはブリタニカ百科事典第11版の多数の項目を執筆している[3]。「ゾロアスター」「ゼンド・アヴェスタ」「ペルシア(言語の項)」など。

Remove ads

参考文献

外部リンク

脚注

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads