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ガーラット式機関車

両端に動力装置を備え、その間にボイラーが吊り下げられた連接式蒸気機関車 ウィキペディアから

ガーラット式機関車
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ガーラット式機関車(ガーラットしききかんしゃ)は、関節式蒸気機関車の一形式。名前は、考案者であるイギリスの機関車技術者ハーバート・ウィリアム・ガーラット英語版に由来する。なお、日本語では表記揺れで「ガラット」や「ギャラット」などと表記されることもある。

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ガーラット式機関車の模式図
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南アフリカ鉄道のGMAM、右に見えるのは水槽車。 1979年撮影
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最初のガーラットである軌間2 ft (610 mm)のK1の写真

特徴は、車体を3分割構成としてボイラーを中央の台枠上に浮かせた状態で置き、その前後に動輪がついた首振り可能な台枠を置いて中央の台枠を支えてあること、前後の台枠の動輪はそれぞれが別々のシリンダーで駆動されることである。足回りが2台分あるため、通常型蒸気機関車を背中合わせに重連にしたような動きとなるが、機関士は1人でよいので運用は重連より楽になる。

一見して同じ関節式蒸気機関車のメイヤー式(Meyer locomotive)に似ているが、メイヤー式はボイラー自身には独自の台枠がなく前後の首を振る台枠2つで構成されているのに対し、ガーラット式は足回り2つとボイラー用の3つ目の台枠があるのが異なる[1]

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ウェルシュ・ハイランド鉄道で動態保存される南アフリカ鉄道の2 ft (610 mm) SAR NGG 16 ガーラット
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ソ連のYa-01形
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歴史

要約
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ハーバート・ウィリアム・ガーラット

ガーラット式機関車は、イギリスの植民地の鉄道であるニューサウスウェールズ鉄道で働いたイギリスの機関車技術者ハーバート・ウィリアム・ガーラットによって1907年に開発された。彼は連接式の大砲輸送機を参考にしたという[2]。その後、この方式はベイヤー・ピーコック社の協力で実用化され、1920年代後半に特許が切れるまで同社が独占製造をしていた[3][注釈 1]

初めて作られたガーラット式機関車はオーストラリアのタスマニア島政府鉄道(Tasmanian Government Railways)のK1型で軌間610㎜ゲージ、複式[注釈 2][4]、総重量34tのB+B機だが、牽引力は6521㎏あるなど[5][注釈 3]後述の「ガーラット式の短所」にある一点以外は成績良好であった[5]

これ以降のガーラット式機関車はオーストラリアやアフリカ諸国の重量貨物用が有名だが、スペインやアルジェリアには旅客用の形式もあった[6]

なお、ベイヤー・ピーコック社はイギリスのメーカーではあるが、イギリス本国では列車単位が小さいこともありガーラット式はあまり流行せず、国内向けに製造されたのはロンドン・ミッドランド・アンド・スコティッシュ鉄道(LMS)とロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道(LENR)が、それまで重連以上で牽引していた長大編成の石炭列車用にそれぞれ別々に製造した1形式づつのみである[注釈 4]

後述の「ガーラット式の利点」にあるような強みから蒸気機関車末期まで新造された形式で、1961年製造のスペイン国鉄(RENFE)282形がヨーロッパ最後に新造された幹線用蒸気機関車となっているほか[7]、ローデシア鉄道(RR)や南アフリカ鉄道(SAR)でも1960年頃まで普通に増備が続けられ、SARに至っては1968年に610mm軌間向けとはいえ新造があったほどである。

その後、石油ショック後に石炭を燃料とする蒸気機関車見直しの流れがあった際に、ACE(アメリカン・コール・エンタープライゼス)社が計画していた新型蒸気機関車の検討案の一つにガーラット式のものがマーク1-Cとして採用されている。 これは石炭列車牽引用として計画されたもので、煙室側の水タンク[注釈 5]を動輪の上ではなくボイラー下部に置いているという違いはあるが、それ以外は車輪配置2-6-0+0-6-2のガーラット式そのもので、これ以前に発案されていたマーク1-B[注釈 6]に比べて火室を大きく取れ[注釈 7]、より簡単にできる[注釈 8]のに牽引力は増大できるという強みがあったが、これの改良案(車輪配置を2-8-0+0-8-2にして大型化したもの)であるACE6000-Gなどの他の案と同様にGPCS(Gas Produce Combustion System ガス化燃焼システム[注釈 9])の自動制御や空転時の再粘着制御および総括制御の問題が解決できず、そもそものきっかけであった石油の価格高騰も収まったことで実用化されることはなかった[8]

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ガーラット式の利点

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K1の図面、ボイラーと火室が走行装置と分離されている。

構造上ボイラー下が空間となるため、固定台枠式やガーラット式以外の関節式機関車に比べ、缶胴部や火室設計の自由度が高く、特にナローゲージでも重心をあげずに大きな火室やボイラーと動輪が干渉しないようにできるという点が重宝され、極端な例として東アフリカ鉄道59形では軌間1000㎜に対しボイラーの最大直径が2284㎜と、軌間の倍以上もある太いボイラーを積んだうえで動輪直径1372mmを達成している[9]

標準軌以上であっても、ボイラーは同じ容積でも太く短い方が表面積が小さくなるので無駄な放熱が減るほか、加熱面積が同じなら煙管の長さが短く数を増やせるので通風がよくなり、煙が抜ける際に抵抗になる過熱管をより多く入れられるため過熱蒸気の温度上昇を見込めるという強みがあるうえ、火室も完全燃焼のためには深い(上下方向に大きい)方がよいため、これらの要素は大きなメリットになる。また、ボイラーを太くすると煙室も太くできるが、これも煙突全体の長さを長く取れて通風を良好にできる強みがある[10]

他にも関節式であるため、当然同じ長さのホイールベースを持つ固定台枠式より急曲線に強くなる(動輪を増やせるので重量も分散でき線路への負担を減らせる)が、関節式同士の機関車と比べてもマレー式(単式マレー含む)に対しては後部の動輪も首を振ることや、ボイラー前部のオーバーハングがほぼ無く、なおかつ重いボイラー回りの部位がカーブで内側に寄るため遠心力が抑えられるのでさらに急曲線に強いというメリットがある[11]

こうした要素により、ドイツのメッツェルチン(Erich Metzeltin[12])による「理論上我が国の鉄道[注釈 10]を走れる最大最強の蒸気機関車はどういうものになるか?」という思考実験では「ガーラット式機関車(1F+1D1)+ブースター付きテンダー(1D)×2」の、「運転整備重量525t(動輪上重量450t)、最大出力8000馬力、引張力60900㎏(35km/h時)」という回答が導き出された[注釈 11][13]

なお、理論上はボイラーに邪魔されずに大動輪の高速機関車を作れるはずであるが、実際には高速向けのガーラット式機関車は作られることはなく、世界最速記録はフランスのパリ・リヨン・地中海鉄道(PLM)が、当時フランス領であったアルジェリア北部の路線用に作らせた231-132.AT形(動輪直径1800㎜)がパリ~カレーを試運転中に出した132㎞/hである[14]

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ガーラット式の短所

ガーラット式は、通常の蒸気機関車と違って基本的にシリンダーがかなりボイラーから離れた位置にある。これは最初に作られたK1形でシリンダーを足回りの内側(ボイラー側)に設置した所、前側は問題なかったが後部シリンダーが運転台の真下にあることで運転台が熱くなるという欠陥があった[5]ためで、以後のガーラット式機関車ではシリンダーを足回りの外側(車端側)に取り付けるようになったが、これによって蒸気パイプがそれぞれのホイールベース分長くなり、特に飽和蒸気を使う場合は長々と引き回されたパイプ内で冷えて凝縮してしまう割合が大きくなるという問題があった。また、ガーラット式に限らず関節式機関車全体に言えることであるが、ボイラに対して首を振るシリンダーに蒸気を送れるように、蒸気パイプにたわみ継ぎ手を設け、かつ蒸気が漏れないようにするなど精度・難易度ともに高い技術が要求された[15]

その他、走り装置が中央部の長さ分だけ離れているということは、それだけ全長が伸びる(通常型の重連やマレー式関節式機関車の方が短くて済む)ということであり、有効長が厳しい路線では扱いにくくなるという問題もある。

これ以外に前後の走り装置の上を水タンクにしていると、水タンクをあまり大きく取れなかったり、水を消耗すると軽くなって粘着力が低下することがあるが、これについては水槽車(water tender)を引くことで解決した[注釈 12]

生産の一覧

さらに見る 型式, 軌間 ...
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保存

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最初に製造されたタスマニア鉄道の2 ft (610 mm) K Classガーラットは保存され、軌間600 mm (1 ft 11 58 in)ウェルシュ・ハイランド鉄道で運行される。

現在、およそ250両のガーラット式機関車が現存する。多くは部品取り用等で解体されかかったような状態で放置されていたりもするが、それでもなお100両以上が博物館や保存鉄道で保存されている。ヨーロッパ、アフリカ、インド、オーストラリアでは、動態保存されている車両を見る事ができる[20]

2007年12月、ニュージーランドで本線走行するためにジンバブエのクラス14Aガーラット509号機がBulawayoで分解された。[21] 2011年初頭にジンバブエの15番目のクラス398も同様にSteam Incによって走行できるように修理する為にニュージーランドへ運ばれた。

2011年2月時点では世界中でジンバブエのBulawayo/HwangeとアルゼンチンのUshuaiaの2か所のみベイヤー・ピーコック社製ガーラット式機関車が毎日運行されている様子を見る事ができる。 北ウェールズのDinasは年間およそ10ヶ月間、毎日運行する。

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脚注

参考文献

外部リンク

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