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キエティスム

17世紀ヨーロッパのキリスト教の運動 ウィキペディアから

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「静寂主義」とも訳されるキエティスム: Quiétisme, : Quietism クワイエティズム)は、キリスト教(特にカトリック教会)における神秘主義思想、およびそれに関連する歴史的な論争のことである。

狭義には、17世紀ミゲル・デ・モリノス英語版ギュイヨン夫人らによって提唱され、カトリック教会によって異端として排斥された一連の運動を指す。彼らは、魂の完全性や神との合一に至るために、人間の意志や努力を放棄し、神に対して完全に受動的な「静寂」の状態(不動心)に留まることを説いた。

広義には、宗教的あるいは哲学的な文脈において、内面的な静けさ、受動性、現世への無関心を重視する態度全般を指して用いられることもある(ショーペンハウアー哲学や、政治的静寂主義英語版など)。

歴史

要約
視点

前史

精神的な静寂やアタラクシア(心の平安)を重視する思想は、キリスト教以前のエピクロス派ストア派にも見られる。キリスト教神秘主義の文脈においては、中世ベギン会やベガードなどが、人間の努力によらず神に身を委ねることを説いたが、これらの一部は自由心霊兄弟団英語版として教会当局から危険視された。

ヴィエンヌ公会議1311年-1312年)では、これらの運動に見られた以下のような主張が誤謬として排斥された。

人間は現世において完全で罪のない状態に到達しうること。
その状態に達すれば、断食祈りなどの宗教的義務は不要となり、教会や人間の権威にも服する必要がなくなること。

1329年には、ローマ教皇ヨハネス22世によってマイスター・エックハルトの教説の一部が断罪されたが、これも神との合一を強調するあまり、教会制度や秘跡の重要性を軽視する恐れがあると考えられたためであった。16世紀にはスペインアビラのテレサ十字架のヨハネらが内的な祈り(静寂の祈り)を説いたが、彼らは教会の指導に従順であったため、後のキエティスム論争における「異端」とは区別される。

17世紀の静寂主義論争

狭義のキエティスム(静寂主義)は、17世紀に大きな神学的論争となった。

スペインの司祭ミゲル・デ・モリノス英語版は、著書『霊的指導』(1675年、Guida spirituale)において、完全な受動性と神への自己放棄を説き、多くの支持を集めた。しかし、この教えは道徳的な努力を軽視し、罪への無関心を招くとみなされ、1687年に教皇インノケンティウス11世の教令「チェレスティス・パストル(Caelestis Pastor)」によって断罪された。モリノスは終身刑となり、獄中で没した。

この思想はフランスにも波及した。ギュイヨン夫人(ジャンヌ=マリー・ブヴィエ・ド・ラ・モット)は、「純粋愛(Amour pur)」すなわち、救いの報酬や罰への恐れに動機づけられない、神への無私の愛を説いた。彼女はルイ14世の宮廷で影響力を持ち、マントノン夫人やカンブレー大司教フェヌロンらと交流した。

しかし、当時のフランス教会を代表する神学者ボシュエは、ギュイヨン夫人の思想を危険視して激しく攻撃した。フェヌロンが彼女を擁護したため、ボシュエとフェヌロンの間で「静寂主義論争」と呼ばれる激しい論争が勃発した。最終的に1699年、教皇インノケンティウス12世はフェヌロンの著書『聖人の格言(Explication des Maximes des Saints)』を排斥し、論争は反キエティスム派の勝利で決着した。

神学

キエティスムにおいては、人間の最も崇高な完成は、現世にありながらも自己の精神を無きものにし、そして、その結果生じたなるものへのの没頭状態であると言われる。このようにして、精神は世俗的な興味から受け身かつ持続的な神の直視へと引き出されるのである。ギュイヨン夫人は、「自分はを犯すことはできない。なぜなら、罪とは自我のことだからだ」と主張した。そして彼女は自我からの脱却をはかった。

その神学的な意義が何であれ、キエティスムによって暗示される個人の自律が教会の統一、同化、規律を揺るがす効果を持ったことは否定できない事実である。

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プロテスタントにおける静寂主義

キエティスムの用語は、プロテスタント諸派における類似の傾向を指して使われることもある。

クエーカー(フレンド派)においては、初期の熱狂的な活動の後、18世紀から19世紀にかけて、外的活動よりも内面的な静けさと聖霊の導きを受動的に待つことを重視する時期があり、これを指してキエティスムの時期と呼ぶことがある。

18世紀のイングランドでは、初期メソジストの指導者ジョン・ウェスレーと、モラヴィア派の一部との間で論争が生じた(静寂論争、Stillness controversy)。モラヴィア派の一部は、真の信仰がないうちは、聖餐や祈りといった「恩寵の手段」を用いるべきではなく、ただ静かに(still)神を待つべきだと主張した。これに対しウェスレーは、恩寵の手段を積極的に用いることを重視し、この静寂主義的傾向を退けた。

ショーペンハウアー

ショーペンハウアーは、キエティスムを生きる意志の否定だと述べた。彼によれば、この服従と無私は知性の最終段階を構成しており、世界の苦悩からの究極の救済もしくは解放である。知性の最終段階だというのは、精神が世界を把握し、それゆえそれ自身が持続的に強い衝動に駆られ、結果として、苦悩や痛みを引き起こすような人間の欲望もしくは意思とよく似ているからである。キエティストは世界と人間の身勝手さから目を背けるのである。

その他の用法

政治的静寂主義

政治学や宗教学の文脈において、宗教指導者や信徒が政治的権力の掌握を目指さず、政治関与を避ける態度を指して「政治的静寂主義英語版(Political Quietism)」と呼ぶことがある。

特に、イスラム教シーア派十二イマーム派)においては、救世主(マフディー)の再臨までは宗教指導者が直接的な政治統治を行うべきではないとする伝統的な立場があり、これをキエティスムと表現する場合がある。これは、イラン革命以降のホメイニーらが提唱したヴェラーヤテ・ファギーフペルシア語版英語版という積極的な政治介入論と対比される。イラクのシスタニ師などは、この伝統的な静寂主義の立場に近いとされるが、信徒への助言という形での政治的影響力は保持している。

関連項目

なお、正教会に発し、アトス山で盛行した神秘主義、ヘシカスム(ヘシュカスモス)にも静寂主義の訳語を充てる。こちらの静寂主義については、「グレゴリオス・パラマス」の項などを参照。

外部リンク

参考文献

  • Dandelion, P., A Sociological Analysis of the Theology of Quakers: The Silent Revolution New York, Ontario & Lampeter: Edwin Mellen Press, 1996.
  • 鶴岡賀雄岡部雄三村田真弓共訳『キエティスム-キリスト教神秘主義著作集15-』教文館1990年ISBN 4764232154
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