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キエフ県 (ロシア帝国)
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キエフ県(キエフけん、ロシア語: Киевская губерния)は帝政ロシア、後にウクライナ・ソビエト社会主義共和国の県(グベールニヤ)である。1708年に設立され、幾度かの区分変更を経たのち、1925年に廃止された。県庁はキエフに置かれた。


歴史


キエフ県が設立したのは1708年12月18日のことである[1]。これはロシアで最初に県制(グベールニヤ制)が敷かれた際の、最初の8県のうちの1つであった[2]。設立時のキエフ県は55の都市を有した。初代キエフ県知事にはドミトリー・ゴリツィン(ru)が任命された[3]。
1719年、県の下位区分としてプロヴィンツィヤが設置され、キエフ(ru)、ベルゴロド(ru)、オリョール(ru)、セフスク(ru)の4プロヴィンツィヤに区分された。その後1728年、上記のうちキエフを除く3つのプロヴィンツィヤを併せてベルゴロド県(ru)が設立した。
1781年、ナメストニチェストヴォ制が導入され、行政区分名がグベールニヤからナメストニチェストヴォとなった。またプロヴィンツィヤが廃され、下位区分は9の郡(ウエズド)に再編された。
1796年、ナメストニチェストヴォ制が廃止され、再びグベールニヤ制が採用された際に、キエフに、ブラツラフ(ru)、ヴォルィーニ(ru)の2つのナメストニチェストヴォを併せた、新たな区画のキエフ県(グベールニヤ)となった。
最終的な、20世紀初頭のキエフ県は12郡に区分され、その下位区分としては12市(ゴロド)、205郷(ヴォロスチ)、111大村(メステチコ)、その他の集落(セロ等)7339が存在した。郡警察分区(スタン)は19世紀末の段階で40に区分されていた。
ロシア革命後、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の管轄となるが、同国は1925年に、国の次位の行政区分を管区(オクルグ)としたため、キエフ県はいくつかの管区に分割する形で消滅した。
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下位区分・人口
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行政の長
出身者
→「Category:キエフ県出身の人物」も参照
出典
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