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キングズリー・エイミス
イギリスの小説家 (1922-1995) ウィキペディアから
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サー・キングズリー・エイミス(Sir Kingsley Amis、CBE、1922年4月16日 - 1995年10月22日)はイギリスの小説家、評論家。コリン・ウィルソン、ジョン・オズボーン、ジョン・B・ウェイン、アラン・シリトーら、1950年代のイギリスの「怒れる若者たち」と呼ばれる作家たちの一人。サマセット・モーム賞、ブッカー賞などを受賞し、1990年にナイトの称号を授かった。息子のマーティン・エイミスも小説家。
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略歴
1922年、ロンドン南部のノーベリー(クラッパム)にて、下層中流階級の家庭の一人っ子として生まれ、10代前半には不安症・パニック障害の兆候が現れる[1]。ブラックフライアーズ駅近くの私立校シティ・オブ・ロンドン・スクールを経て、1941年にオックスフォード大学セント・ジョージ・カレッジへ奨学金で進学し、フィリップ・ラーキン と親しくなる[1]。詩人としてデビューしたが小説家に転じた。第二次世界大戦で王立通信隊の中尉として兵役に就いた後、1949年から1967年までスウォンジ大学で英語の教鞭を執った。
ミステリー、SFも愛好し、SF評論『地獄の新地図』や、イアン・フレミングの小説シリーズの主人公ジェームズ・ボンドの伝記『007号/ジェイムズ・ボンド白書』をビル・タナー(シリーズに登場するMI6の幕僚主任)名義(日本語訳ではキングズリイ・エイミス名義)で執筆した。
また、イアン・フレミングの死後にロバート・マーカム名義で007シリーズの小説を1作執筆している。
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家族
- 父・ウィリアム・ロバート・エイミス(William Robert Amis) ‐ マスタード会社のコールマンズ(en:Colman's)の事務員[1]
- 前妻・ヒラリー・バーデル(en:Hilary Bardwell, 1928-2010) ‐ ラスキン美術学校のモデルをしていた時にカフェでキングズリーと知り合い、妊娠、1948年に結婚出産、3児を儲けたが、キングズリーの不倫が原因で1965年に離婚、その後、2度結婚[1]。1980年にキングズリーが2度目の離婚後、夫ともにキングズリーと同居し、最期を看取った[1]。連続殺人犯フレデリック・ウェストの被害者の一人ルーシーはヒラリーの姉の娘[2]。
- 二男・マーティン・エイミス
- 後妻・エリザベス・ジェーン・ホワード(en: Elizabeth Jane Howard, 1923-2014) ‐ 小説家。アーサー・サマヴェルの孫。キングズリーは三人目の夫。
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受賞歴
- サマセット・モーム賞 (1955年)(Lucky Jim(『ラッキー・ジム』)に対して)
- ジョン・W・キャンベル記念賞 (1977年)(The Alteration(『去勢』)に対して)
- ブッカー賞 (1986年) (The Old Davilsに対して)
作品
要約
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日本語訳された作品
- 『ラッキー・ジム』、福田陸太郎訳、三笠書房、1954年
- 『007号/ジェイムズ・ボンド白書』 (ハヤカワ・ライブラリ) 、永井淳訳、早川書房、1966年
- 『007号/孫大佐』ロバート・マーカム名義、 (ハヤカワ・ノヴェルズ) 、永井淳訳、早川書房、1966年 のちハヤカワミステリ文庫
- 『反死連盟』(ハヤカワ・ノヴェルズ)宇野輝雄訳 早川書房 1968年
- 『グリーン・マン』(ハヤカワ・ノヴェルズ)、小倉多加志訳、早川書房、1974年
- 『リヴァーサイドの殺人』(ハヤカワ・ノヴェルズ)、小倉多加志訳、早川書房、1977年
- 『地獄の新地図』、山高昭訳、早川書房、1979年
- 『ジェイク先生の性的冒険』、林節雄訳、講談社、1983年
- 『去勢』サンリオSF文庫、橋本宏訳、サンリオ、1983年
- 『酒について』、吉行淳之介、林節雄訳、講談社、1985年
- 『エヴリデイ・ドリンキング』、山本博訳、講談社、1985年
- 『洋酒雑学百科Q&A』、山本博訳、講談社、1986年
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出典
関連項目
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