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クズルウルマク川

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クズルウルマク川
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クズルウルマク川(クズルウルマクがわ、クズル川 - トルコ語: Kızılırmak Nehri、マラシャンタ - ヒッタイト語: Maraššantiyaハリュス川 - 古代ギリシア語: Ἅλυς / Halys)はトルコを流れる。トルコに水源と河口の両方がある川としては最長である。クズルは「」を、ウルマクは「川」を意味するつまり「赤い川」という意味となる。水力発電に使われている。水深が浅いので船舶の航行には適さない。

概要 クズルウルマク川, 延長 ...

地理

クズル川は東部アナトリア高原を源流(北緯39.8度 東経38.3度 / 39.8; 38.3)に延長1,150キロメートルをほぼ右回りで半周して黒海に注ぐ。始めは西あるいは南西に流れ、「ハリス川の曲がり」(北緯38.7度 東経34.8度 / 38.7; 34.8)と呼ばれる場所で流れを西から北西へと大きく変える。それからトゥズ湖の北東を通って、デリジェ川 トルコ語版と合流する(北緯40.47度 東経34.14度 / 40.47; 34.14)。そこからジグザグに流れて北西に進み、デヴレズ川トルコ語版と合流する(北緯41.10度 東経34.42度 / 41.10; 34.42)。そこから北東に流れを変えて黒海に注ぐ(北緯41.72度 東経35.95度 / 41.72; 35.95)。

河口の三角州にはヨシ原、季節的に浸水する森林砂丘砂浜が広がり、1998年にラムサール条約登録地となった[1]

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歴史

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紀元前600年頃のメディア王国

ヒッタイトはこの川をマラシャンタ(ヒッタイト語: Maraššantiya)と呼んだ。アナトリア半島西部のリディアと、東の大国メディア王国の国境がこのあたりであり、紀元前585年にメディア王国がリディアに攻め込む戦争があったが、偶然起こった日食に不吉を感じて両国は和平し、この川が国境と定められた(日食の戦い[2]

紀元前547年、メディアに取って代わったアケメネス朝の君主キュロス2世がリディアに攻め込んで属国とし、国境としての意味は失われた。

自然

生き物

画像

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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