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クラウディオ・キアプッチ

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クラウディオ・キアプッチ
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クラウディオ・キアプッチ(Claudio Chiappucci、1963年2月28日- )は、イタリアウボルド出身の元自転車競技選手。

概要 クラウディオ・キアプッチClaudio Chiappucci, 基本情報 ...
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戦歴

1982年にイタリアのアマチュアチャンピオンに輝く。1985年にカレラチームと契約してプロ転向。当初は、ステファン・ロッシュロベルト・ヴィセンティーニのアシスト役だったが、彼らが移籍するとエースの座に君臨するようになった。

1990年ツール・ド・フランスでは、連覇を狙うグレッグ・レモンを終始苦しめ、第20ステージの個人タイムトライアル前まではマイヨ・ジョーヌを守り抜き、最終総合順位も2位に食い込んだ。また、1992年ジロ・デ・イタリアツール・ド・フランスでは、こちらも連覇を期すミゲル・インドゥラインと終盤まで互角に渡り合い、いずれも総合2位。とりわけジロでは、1分15秒差まで詰め寄った。特に山岳コースでは自ら果敢にアタックを仕掛ける走りを見せ、レモンやインドゥラインがツールで総合優勝を果たしたときにも、敗れたキアプッチのことを「ベストルーザー」だと讃えるファンも多かった。

しかしながら、山岳賞はツール2回、ジロ3回、ポイント賞はジロで1回の受賞経験があるものの、グランツールの総合優勝はついに果たせなかった。その理由は、決まって個人タイムトライアルにおいて、レモンやインドゥラインに遅れを取ったことにある。一方、1991年6月16日6月29日まで、UCI・ロードワールドランキングスでランキング1位を経験した。また、ジャパンカップサイクルロードレースでは1993年から1995年まで3連覇を達成し、日本のロードレースファンにも人気がある選手だった。

一方、アシックスチームに移籍した1997年には何度もドーピング検査に引っかかったことから、禁止薬物常用の疑いがもたれるようになった。それを受け、後にキアプッチは、1993年以降、禁止薬物であるエリスロポエチンを常用していた事実も認めた。1998年にアミカ・チップチームへと移籍したものの、ドーピングの渦中に常にあったことも災いしてか、ほとんどレースに出場する機会もなくなり、1999年に引退した。

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その他

  • 曽田正人作の自転車漫画シャカリキ!』に登場する主人公・野々村輝のモデルになった。
  • 非常に新し物好きで、シーズン初頭には開発されたばかりの新製品を投入・使用することが多かった。サドルだけは同じものを使い続ける選手が多い中、毎年のように新製品を試していた。

外部リンク

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