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グナエウス・ドミティウス・カルウィヌス (紀元前332年の執政官)
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グナエウス・ドミティウス・カルウィヌス(ラテン語: Gnaeus Domitius Calvinus、生没年不詳)は紀元前4世紀の共和政ローマの政務官。紀元前332年に執政官(コンスル)を務めた。
出自
プレプスであるドミティウス氏族の出身。父のプラエノーメン(第一名、個人名)もグナエウスである。ドミティウス氏族としては最初の執政官であり、歴史に最初に登場する人物である。紀元前283年の執政官グナエウス・ドミティウス・カルウィヌス・マクシムスは息子である。
経歴
紀元前332年、カルウィヌスは執政官に就任、同僚執政官はパトリキ(貴族)であるアウルス・コルネリウス・コッスス・アルウィナであった[1]。前年は独裁官(ディクタトル)の年で、プブリウス・コルネリウス・ルフィヌスが務めていたが、選出に不備があるとされ退任し[1]、リウィウスによれば、インテルレクス(期間5日間の最高責任者)の一人、マルクス・ウァレリウス・コルウスが執政官選挙を実施している[2]。
この年、エピロス王アレクサンドロス1世との間に講和条約が結ばれている[1]。またガリア人の侵入の噂が流れたため、独裁官としてマルクス・パピリウス・クラッススが任命され、プブリウス・ウァレリウス・プブリコラがマギステル・エクィトゥム(騎兵長官)に指名されたものの、これは誤報であり、戦闘には至らなかった[2]。カルウィヌスに関し、これ以外のことは不明である。
脚注
参考資料
関連項目
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