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ケネス・ブレースウェイト

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ケネス・ブレースウェイト
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ケネス・ジョン・ブレースウェイト2世(Kenneth John Braithwaite II、1960年 - )は、アメリカ合衆国海軍軍人政治家外交官実業家駐ノルウェー・アメリカ合衆国大使を経て、ドナルド・トランプ政権で第77第海軍長官を務めた。最終階級は海軍少将イラク戦争への従軍歴がある。

概要 ケネス・ブレースウェイトKenneth Braithwaite, 第77代 アメリカ合衆国海軍長官 ...
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経歴

要約
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生い立ちと教育

1960年12月24日生まれ、ミシガン州リボニア出身[1][2]。1984年、海軍兵学校を卒業し、船舶工学の学士号を取得[3][4]。 1995年、ペンシルバニア大学Fels Institute of Governmentにて公共経営修士号を取得する[5][6]

また、海軍大学校空軍指揮幕僚大学(Air Command and Staff College)より準修士号を取得している[7]

1993年から1996年まで、ペンシルバニア州リドレーパークの議員を務めた[8]。その後、1997年から2000年まで、ペンシルベニア州選出上院議員(当時)のアーレン・スペクター(Arlen Specter)の最高顧問となり、スペクターの州担当ディレクターを務めた[9]

軍人時代

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ブレースウェイト少将(2007年撮影)

1984年に少尉として任官した[1]。ブレイスウェイトは、当初、国会議事堂の立法事務局の特別補佐官として抜擢された。1986年4月に海軍飛行士となり、ハワイのバーバーズ・ポイント海軍航空基地から派遣されたパトロール隊17で対潜哨戒任務に就いた[6]。1988年4月、空母「アメリカ」の広報部長として広報任務に就き[6]、1990年にはフィラデルフィア海軍造船所の司令官付広報主任となった[10]。湾岸戦争開戦に伴い、地中海とインド洋にNATO派遣を行った[11]

1993年の退役後、海軍予備軍(Navy Reserve)入隊[6]。1993年から2002年まで、第6艦隊、第7艦隊、米太平洋艦隊、第2空母群司令官など、数多くの司令部でさまざまな役割を担った。

2002年、大西洋海軍戦闘カメラ(予備役)の司令官に選ばれ、2003年のイラク侵攻の際には、戦闘作戦を支援するために司令部と共に派遣された。2004年には、統合実現能力司令部の一部である統合広報支援部隊(Joint Public Affairs Support Element-Reserve)の指揮官に抜擢された。この役職では、紛争時に戦闘指揮官を支援するために前方展開される50人の合同広報遠征部隊を指揮した。2005年にはパキスタンのイスラマバードに派遣され、戦略コミュニケーション部長として、災害対応司令官と駐パキスタン米国大使に同時に報告した。[12][13]

2007年、ノーフォークの統合広報支援部隊のディレクター時代に、海軍少将に指名された[14][15]。同年6月、上院で昇進が承認された[16][17]。2011年6月に退役するまで、海軍の情報副長官(Navy's vice chief of Information)を務めた[18]

実業家時代

1993年6月に現役を退くと、ペンシルバニア大学大学院に入学[19]。その後、アトランティック・リッチフィールド社(ARCO社)にオペレーション担当マネージャーとして採用され、労働組合員の管理を担当した。その後、ARCOのワシントンD.C.事務所に配属され、規制関連業務に携わった[20]

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2008年7月1日、マサチューセッツ州知事のデヴァル・パトリック(左)と面会する情報副長官時代のブレースウェイト

ケンブリッジ・アナリティカ

2020年1月、ブレースウェイトが2016年11月1日から1年間の契約をケンブリッジ・アナリティカと結んでいたことが同社の文書から判明し、ノルウェー大使就任前にケンブリッジ・アナリティカとビジネス関係を結んでいた可能性があると、CBSニュースが報じた[21]

また、ノルウェーの海運王Thomas Wilhelmsenに関わる利益相反疑惑が起こった[21][21]

ドナルド・トランプ政権

ドナルド・トランプ大統領によって駐ノルウェー米国大使に指名され、2017年12月21日に米国上院によって音声投票によって承認された[22]

2019年11月24日のリチャード・V・スペンサー海軍長官の解任後、トランプ大統領はブレースウェイトを海軍長官に指名すると述べた。2020年3月2日に正式に指名され、5月21日に発声投票によって承認され、5月29日に就任した[23][24][25][26][27]

海軍長官としての8カ月間で、約240万ドルの旅費を支出した。当時、COVID-19の流行により他の上級文官は出張を減らしていたが、ブレースウェイトはペンタゴンの他の上級文官よりも多く出張していた。ジョー・バイデンの就任式の前の週、ブレースウェイトは23万2000ドルかけて、水兵も海兵隊も駐留していない小さな環礁、ウェーク島へ飛んだ。また、陸軍と海軍のフットボールの試合に出席するために2万4000ドル以上を費やした。ハワイには、8ヶ月の間に1回以上訪れている。ブレースウェイトは、大規模な出張を擁護し、「ワシントンの机の後ろから、世界中に配備された男女を指導することは不可能だと思う」("I submit it's impossible to lead men and women deployed around the world from behind a desk in Washington.")と述べた[28]

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2020年5月29日、海軍長官への就任宣誓を行うブレースウェイト(左)と、聖書を持つメリッサ夫人。
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栄典

レジオン・オブ・メリットOak leaf clusterDefense Meritorious Service MedalMeritorious Service Medal、Combat “V”付Navy and Marine Corps Commendation MedalNavy Achievement MedalCombat Action Ribbon、その他の多くの勲章を有する[12][29]

私生活

妻のMelissaとの間に娘のGraceと息子のHarrisonがいる[30]

脚注

外部リンク

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