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ケーニヒスベルク (軽巡洋艦・3代)

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ケーニヒスベルク (軽巡洋艦・3代)
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ケーニヒスベルク (Königsberg) は、第一次世界大戦後に建造されたドイツ海軍軽巡洋艦K級巡洋艦の一隻。

概要 基本情報, 艦歴 ...

艦歴

ケーニヒスベルクはヴィルヘルムスハーフェンで1926年4月12日に起工し、1927年3月26日進水。1929年4月17日就役。1929年12月17日に艦隊に加わった。

ケーニヒスベルクは1930年1月1日から1936年2月23日まで偵察艦隊旗艦であった。第二次世界大戦勃発までの間、ケーニヒスベルクは地中海ノルウェーイギリスポーランドフィンランドスウェーデンを訪れた。

スペイン内戦時には、先にスペインに派遣されていた軽巡洋艦ケルンと交代するため、1936年11月25日にキールを出港。18日にスペインのエル・フェロルに着き、翌年の1月15日にキールに帰還するまでスペイン周辺で活動した。

第二次世界大戦が始まると、ケーニヒスベルクは他の駆逐艦などと共に、北海での機雷敷設に従事した。

1940年4月、ケーニヒスベルクはノルウェー侵攻(ヴェーザー演習作戦)にベルゲン攻略に当たるグループ3の1隻として参加した。ベルゲン占領に向かったのはケーニヒスベルクの他に、軽巡洋艦ケルン、砲術練習艦ブレムゼ、水雷艇レオパルトヴォルフSボート母艦カール・ペーターズとSボート5隻、武装トロール船2隻であった。4月7日の夜中、上陸部隊を載せたケーニヒスベルクとケルン、ブレムゼはヴィルヘルムスハーフェンを出撃した。途中で水雷艇などと合流し、9日早朝ベルゲンに接近した。その際、ノルウェー軍の砲台からの砲撃でケーニヒスベルク、ブレムゼ、カール・ペーターズが命中弾を受けた。ケーニヒスベルクには2発乃至3発が命中した。ベルゲン市街や港などは同日中にドイツ軍の手に落ちた。

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ベルゲンで攻撃を受けている際のものと思われる「ケーニヒスベルク」

4月10日朝、応急修理のためベルゲンに留まっていた「ケーニヒスベルク」はイギリス軍機の攻撃を受けた。攻撃したのはオークニー諸島のハットストン基地から発進した艦隊航空隊第800飛行隊と第803飛行隊のスクア急降下爆撃機16機であり、それぞれ500ポンド爆弾1発を搭載していた[1]。まず右舷側の埠頭で爆発した爆弾により被害が発生[2]。次の爆弾は信号甲板を貫通して水中で爆発し、浸水が発生[2]。さらに3発の爆弾が命中し、1発が左舷側の水中で爆発した[2]。「ケーニヒスベルク」は左舷側から転覆し、スクリューなど一部を残して水没した[3]

1942年7月12日に浮揚[4]。その後Uボートの停泊場所として使用されたが、1944年9月に再び転覆したという[4]。戦後に解体された[4]

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脚注

参考文献

外部リンク

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