トップQs
タイムライン
チャット
視点

コーレーガーオンの戦い

ウィキペディアから

コーレーガーオンの戦い
Remove ads

コーレーガーオンの戦い(コーレーガーオンのたたかい、英語:Battle of Koregaon)は、1818年1月1日インドコーレーガーオンにおいて、イギリス東インド会社マラーター王国との間に行われた第三次マラーター戦争の戦闘。

概要 コーレーガーオンの戦い Battle of Koregaon, 時 ...

戦闘に至る経緯

1817年11月5日マラーター軍はイギリス軍にカドキーの戦いで敗れ、そののちプネーをイギリス軍に占領された。

だが、マラーター王国の宰相バージー・ラーオ2世は軍を立て直し、再び同じ規模の戦力でイギリスとの対決に臨んだ。

戦闘とその後

1818年1月1日朝、マラーター王国軍はイギリス軍とコーレーガーオンで激突した。マラーター軍は前回と同じ騎兵2万・歩兵8,000であったのに対し、イギリス軍はほとんどがダリットから構成された歩兵500・騎兵250と劣勢であった.[1]

熾烈な戦いは丸一日続いたが、マラーター軍はバープー・ゴーカレーの息子ゴーヴィンド・ラーオ・ゴーカレーが戦死するなどの損害をこうむり、敗北を喫した。バージー・ラーオ2世はコーレーガーオンの戦場から2マイル離れていた丘から観望していたが、敗北を悟ってその夜のうちに撤退した。

その後、この戦いの戦勝を記念するダリットの紋章が刻まれた塔「コーレーガーオン塔」が建てられ、現在まで残っている。

200年後

2018年1月1日プネにてコーレーガーオンの戦いの200周年記念式典が開催されたが、ダリットとヒンズー至上主義者が対立し暴動となった[2]

脚注

参考文献

関連項目

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads