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サラゴサ放射線治療事故

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サラゴサ放射線治療事故(サラゴサほうしゃせんちりょうじこ)は、1990年(平成2年)12月10日から20日にかけて、スペインアラゴン州サラゴサ県サラゴサにあるロザノ・ブレサ大学臨床病院で発生した放射線事故である。

概要 現地名, 日付 ...

国際原子力機関(IAEA)によると、この事故で少なくとも27人の患者が負傷し、そのうち11人が過剰被曝によって死亡した。被害者全員が放射線治療を受けている患者であった[1]

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背景

ロザノ・ブレサ大学臨床病院スペイン語: Hospital Clínico Universitario Lozano Blesa放射線治療装置として、コバルト60照射装置1基と直線加速器「Sagittaire」1基を備えていた[2]。事故発生当時、直線加速器は設置から12年間が経過していた[3]

放射線外照射治療では、がん細胞を破壊するために電離放射線を使用するが、正常組織への影響は最小限に留められなければならない。コバルト60照射装置では固定されたエネルギーのガンマ線しか得られないのに対し、直線加速器では放射線の種類(電子線エックス線)やエネルギーが選択できるため、より柔軟で適切な治療が行えるというメリットがある。ただし、全てのパラメータが厳密にコントロールされる必要がある[2]

事故

以下はスペイン原子力安全委員会(Consejo de Seguridad Nuclear、CSN)の報告書に基づく[2]

1990年12月5日、加速器オペレーターが電子線が出ないことに気づき、装置メーカーであるGE-CGRの保守担当者に連絡した。運転日誌にこの事象は記載されなかった。保守担当者は当日、隣室のコバルト装置の点検を行っており、加速器の修理は後日に持ち越された。

12月7日、保守担当者が加速器の修理作業を実施した。

12月10日、加速器を用いた患者治療を再開。病院の放射線防護部門は故障を知らされていなかった。

12月20日午前、オペレーターが計器の表示が不正確であると放射線防護部門責任者に報告し、加速器による治療を中止。医師らは患者の強い副作用や体調不良がこの問題と関連している可能性を疑い始めた。

12月21日、線量測定を実施したところ、操作盤でどのエネルギー値を選択しても、電子線のエネルギーは常に36メガ電子ボルト(MeV)であることが判明。GE-CGRに連絡し、技術者が修理と点検を実施した。

12月29日、病院から原子力安全委員会へ事故を報告。

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原因

事故の発端は、直線加速器の電子ビーム偏向システムの故障であった。制御回路の短絡によって、電子線を偏向させるマグネットコイルに常に最大電流が流れ、電子ビームが正しい軌道から外れていた。加速器の放射線モニタが選択されたエネルギーが出ていないことを検知し、照射を自動的に停止していた[2]

12月7日の修理において、保守担当者は制御回路の短絡を直さず、電子線のエネルギーを上げることで無理矢理ビーム軌道を修正した。この結果、電子線エネルギーは常に最大値(36MeV)となった。また、保守担当者はこの操作のために自動モードから手動モードに切り替えていたため、選択されたエネルギー値と実際の出力値が一致しない場合でも自動停止機構が作動しないようになっていた。操作盤で7、10、13 MeVを選択しても常に計器が「36MeV」と表示することについては、計器が壊れて指示針が固まっているだけだと解釈した[2]

保守担当者は、病院の技術責任者に修理内容を報告せず、作業記録も正式に提出していなかった。病院側も、修理後に放射線防護部門の点検を行わずに患者治療を再開していた。日常点検の線量チェックは12月7日以降行われていなかった[2]

電子線はエネルギーが高いほど透過力が強くなるため、患者は想定照射箇所よりも深部の組織に過剰被曝を受けることとなった[2]

被害

1990年12月10日から20日にかけて27人の患者が放射線治療を受け被害を負った。27人は7MeVの電子線を受けることになっていた[4]。事故による過剰被曝が直接の死因か否かは医学的評価が難しいため、事故による死亡者数については記事や時期によってばらつきがある。

  • 少なくとも10人:スペイン国立衛生研究所[5]
  • 11人:IAEA[6]
  • 15人:IAEA[7][8]
  • 16人:El País[3][9]
  • 18人:Database of radiological incidents and related events[10]
  • 20人:遺族による主張[5]
さらに見る イニシャル, 年齢 ...
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裁判

1991年3月6日、当時の保健消費者大臣Julián García Vargasは、議会本会議においてサラゴサ臨床病院の加速器の故障の責任はゼネラル・エレクトリック社にあると述べた[12]

1993年4月6日、裁判官は保守担当者のみを過失致死罪で懲役6ヶ月に処し、20人の犠牲者の遺族に総額4億1800万ペセタの賠償金を支払うよう命じた。ゼネラル・エレクトリック社には民事上の責任があるとした。検察官は臨床病院職員にも責任があるとして控訴した。被害者遺族代表の私訴弁護士とゼネラル・エレクトリック社も上訴を申し立てた[13]

1993年11月10日、サラゴサ州裁判所は、4月5日の判決で定められた賠償金額を修正する点においてのみ上訴を認め、判決を確定させた。サラゴサ臨床病院職員10人に対する無罪判決は支持された。保守担当者と彼の所属企業ゼネラル・エレクトリック社は、被曝した27人それぞれに1200万から2500万ペセタの賠償を命じられることとなった[14]

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脚注

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