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サン=ヴァレリー=シュル=ソンム
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サン=ヴァレリー=シュル=ソンム (Saint-Valery-sur-Somme)は、フランス、オー=ド=フランス地域圏、ソンム県のコミューン。
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地理
語源
ピカルディ語ではSaint-ValeryをSaint-Waryとつづる。この名はラテン語のValeriusとは関係がない。ゲルマン語の名Walaricから派生した名称である。
歴史
アミアン司教聖人記によれば、クロタール2世はかつてのガロ=ローマ領Leuconeを聖ヴァレリー(fr)に授けた。Leuconeは11世紀までキリスト教巡礼地だった。
981年、ユーグ・カペーは聖ヴァレリーの聖遺物を奪うためブランクタク砦を通過した。中世都市としてのサン=ヴァレリー=シュル=ソンムは、聖ヴァレリーの教会周辺にこの時期に生まれたと見られている。ルーアンからブローニュ=シュル=メールへ至る道上にある地理的位置から、重要な通過地点だった。ノルマンディー公ギヨーム(イングランド王ウィリアム1世)は、イングランド征服のため1066年にこの港を出港している。サン=ヴァレリーは、今日よりはるかに規模の大きかったクレシーの森から切り出される木材を供給していた。
ユグノー戦争中の1568年、ユグノー派の指揮官コックヴィル率いるユグノー軍がサン=ヴァレリーを征服した。彼は、ピカルディ総督ブリサック伯ティモレオン・ド・コッス軍に敗退した。ユグノー派の生存者はわずか300人であった[2]。
サン=ヴァレリーの漁業地区クールガン(Courtgain)は、港へ向かって狭い住宅が立ち並ぶ。海老やニシンを中心に漁を終えた船が戻ると、女たちは魚の塩漬けを缶詰に加工して働いていた。この漁業の風景は現在のサン=ヴァレリーからほとんど失われている。
姉妹都市
脚注
外部リンク
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