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シャー・ジャハーン3世

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シャー・ジャハーン3世ヒンディー語:शाहजहां तृतीय, ウルドゥー語: شاہجہان ثالث, Shah Jahan III, 1711年 - 1772年)は、北インドムガル帝国の対立皇帝(在位:1759年 - 1760年)。

概要 シャー・ジャハーン3世 شاہجہان ثالث, 在位 ...

生涯

1759年11月29日ムガル帝国の宰相ガーズィー・ウッディーン・ハーンは皇帝アーラムギール2世デリーで殺害し、新たにアウラングゼーブの皇子カーム・バフシュの孫シャー・ジャハーン3世を擁立した[1]

その後、12月10日にシャー・ジャハーン3世が即位して間もなく、デリーから離れた所にいたアーラムギール2世の皇子シャー・アーラム2世が即位した[1]。ここに2人の皇帝が併立することになったが、正式な皇帝はシャー・アーラム2世であり、シャー・ジャハーン3世は対立皇帝にすぎないとされている。

さて、シャー・ジャハーン3世が擁立されたとき、アフガニスタンの君主アフマド・シャー・ドゥッラーニー北インドに向けて侵攻していた。1760年1月にアフガン軍によってデリーが占領され、8月2日には対抗するマラーターの軍勢がデリーへ入城した[2]

そうしたなか、同年10月10日、宰相ガーズィー・ウッディーン・ハーンと好があったマラーター軍が裏切り、シャー・ジャハーン3世を廃位し、宰相も同時に失脚した[1][2]。これは、マラーター王国宰相バーラージー・バージー・ラーオシュジャー・ウッダウラにアフガン軍との調停を委ねる代わり、帝国の宰相になれるよう助力を秘密裏に約束していたからだった[2]

1772年、シャー・ジャハーン3世はアラーハーバードで死亡した。

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出典・脚注

関連項目

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