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ジェイムズ・"シュガー・ボーイ"・クロフォード

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ジェイムズ・"シュガー・ボーイ"・クロフォード
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ジェイムズ・"シュガー・ボーイ"・クロフォード (: James "Sugar Boy" Crawford1934年10月12日[1] - 2012年9月15日) は、米国ルイジアナ州ニューオーリンズR&Bシンガーピアノ奏者ドクター・ジョンなどがカバーした"アイコ・アイコ"のオリジナル・アーティストとして知られている。シンガー、ピアニストのダヴェル・クロフォードは彼の孫にあたる。

概要 ジェイムズ・"シュガーボーイ"・クロフォード, 基本情報 ...
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来歴

1934年、ニューオーリンズに生まれたクロフォードは、市内のアップタウンで幼少期を過ごした[2]。ニックネームの"シュガー・ボーイ"は「可愛い子」を意味する幼い頃の呼び名に由来している[1]

1950年、ニューオーリンズのブッカーT.ハイスクールに在学中、同級生とバンドを結成する[3]。このバンドは、1952年アラディン・レコードよりシャウィーズの名前で“No One To Love Me”/“Early Sunday Morning”でデビューを果たした。

1953年チェス・レコードとも契約するが、アラディンとの契約が存続していたため、シュガー・ボーイ&ザ・ケイン・カッターズ名義での契約であった[1]。同年、後に"Iko Iko"として知られることになる"Jock-A-Mo"を傘下のチェッカー・レコードよりリリースする。この曲は、マルディグラ・インディアンのチャントにクロフォードが曲を付けたもの[1]。レコーディングにはスヌークス・イーグリンがギターで参加した。

チェスで3枚のシングルをリリースしたのち、クロフォードは1960年代の前半までに、スペシャルティインペリアルエイスピーコックなどのレーベルからシングルをリリースし続けた[3]

1963年、彼は自動車に乗ってバンドとともに演奏先へ向かっていた際、当時は違法とされていた黒人が派手な新車を乗り回していた"罪"で警官に止められた。この際暴行を受け入院したクロフォードは、同時に2年間の免許停止処分を受けた[1]。クロフォードは、この事件により活動の中断を余儀なくされることになる。一度は復帰を目指したものの、1969年以降はゴスペルを歌うようになり、R&Bからは身を引いてしまった。

1995年、ダヴェル・クロフォードのアルバムLet Them Talkにゲスト参加し、久々に元気なところを聴かせている。以後、ダヴェルとともに1996年のニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテッジ・フェスティバル[1]、2008年のポンデロサ・ストンプ[4]など、いくつかのライブ出演を果たしている。

2012年9月15日、病気のために死去[5]77歳没

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ディスコグラフィー

脚注

外部リンク

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