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ジェームズ・カーネギー (第5代サウスエスク伯爵)

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第5代サウスエスク伯爵ジェームズ・カーネギー英語: James Carnegie, 5th Earl of Southesk、1691年以降 – 1730年2月10日)は、スコットランド貴族。1715年に私権剥奪され爵位を失った。

生涯

第4代サウスエスク伯爵チャールズ・カーネギーとメアリー・メイトランド(Mary Maitland第3代ローダーデイル伯爵チャールズ・メイトランド英語版の娘)の一人息子として生まれた[1]。1699年8月に父が死去すると、サウスエスク伯爵の爵位を継承した[2]

1713年、マーガレット・ステュアート(Margaret Stewart、1750年11月2日没、第5代ギャロウェイ伯爵ジェームズ・ステュアートの娘)と結婚、1男1女を儲けたが、いずれも早世した[1]

1715年ジャコバイト蜂起に参加した廉で庶民院に私権剥奪を議決され[1]、毎年3,271ポンドの収入を得られる財産を失った[2]。これによりサウスエスク伯爵の爵位も剥奪されたが、同時に私権剥奪されたほかの貴族と違い、第5代サウスエスク伯爵は以降サウスエスク伯爵を名乗らなくなった[2]

1730年2月10日にフランスで死去、親族の第3代準男爵サー・ジェームズ・カーネギー初代サウスエスク伯爵デイヴィッド・カーネギーの四男アレクサンダーの子孫)が家長になった[1]

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脚注

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