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ジェームズ・ディクソン・イネス
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ジェームズ・ディクソン・イネス(James Dickson Innes、1887年2月27日 - 1914年8月22日)はイギリスの画家である。主に山岳風景を描いたが、人物画も描いた。
略歴
ウェールズのラネリー(Llanelli)で生まれた。父親はスコットランド出身の歴史家で、母親はカタルーニャ人の血を引いていた。ウェールズの寄宿学校、クライストカレッジ・ブレコンで学んだ後、1904年からカーマーゼンの美術学校で学び、1905年に奨学金を得て、ロンドンのスレード美術学校に入学し、フィリップ・ウィルソン・スティーアらに学んだ[1]。
1907年にニュー・イングリッシュ・アート・クラブの展覧会に出展し、1911年にウォルター・シッカートを中心とした美術家のグループの「カムデン・タウン・グループ」に参加し[2]、シッカートの影響を受け、ウェールズ出身の画家、オーガスタス・ジョンの友人になった[1]。
1911年に彫刻家のエリック・ギルとロンドンの画廊で2人展を開いた[3][4]。アメリカで開かれたアーモリーショーにも出展した[1] 。ウェールズの慈善家、テナント(Winifred Coombe Tennant)から支援を受けていた芸術家の一人であった[1] 。1911年と1912年はオーガスタス・ジョンと北ウェールズのアレニグの峡谷を旅して風景画を描いた[5] 。
結核であると診断されていて、転地のための旅を医者から勧められて、1908年から1913年には、フランスの地中海岸のコリウールなどで作品を描き、1913年はスペインやモロッコを旅した。1914年にケントの療養所で27歳で亡くなった。
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作品
- アレニグ風景
- ピレネーの夕暮れ
- セルベールの海岸
- 湖に立つ少女
- ギター持つ少女
- "Bead Chain"
- コテッジの中の少女
参考文献
関連図書
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