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ジェーン・エレン・ハリソン

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ジェーン・エレン・ハリソン
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ジェーン・エレン・ハリソン[1]ハリスンとも[2]: Jane Ellen Harrison1850年9月9日 - 1928年4月15日[3])は、イギリス西洋古典学者宗教学者[1]古代ギリシアの宗教ギリシア神話ギリシア悲劇社会人類学的に研究した。ケンブリッジ学派[4]ケンブリッジ・リチュアリスト英語版)の中心人物。

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ハリソン(1925年、テオ・ファン・レイセルベルヘ画)
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ハリソン(1900年)
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1881年、大英博物館で女性たちに講義するハリソン

人物

1850年、ヨークシャーコッティンガム英語版に生まれる[3][5]ケンブリッジ大学女子カレッジチェルトナム・カレッジ英語版およびニューナム・カレッジ英語版で学ぶ[6]。1879年より、古典学者として大英博物館サウス・ケンジントン博物館で講義[3][6]。1898年、母校ニューナムの研究フェロー、1899年、専任講師に就任[3][6]。英国における女性大学教員の先駆となった[7][8]。1922年、退職[3]。1928年、白血病で逝去[3]

晩年、教え子の女性作家ホープ・マーリーズ英語版パリロンドンで共同生活を送った[3][9][10]ヴァージニア・ウルフブルームズベリー・グループとも交流した[9]グラッドストン(英国首相にして古典学者)、昭和天皇(1921年訪英)、ドイツ皇后ヴィクトリアヴィクトリア女王の娘)とも面識があった[11]ロシア文化の愛好家でもあった[3][5]

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学問

F・M・コーンフォードギルバート・マレーと、ケンブリッジ学派[4]ケンブリッジ・リチュアリスト英語版)を構成した。

フレーザー金枝篇』やニーチェ悲劇の誕生』、デュルケム社会学の影響のもと[12][13][14]壺絵石碑など考古資料[15]アイヌ熊祭りなど人類学的知見を援用し[16]ギリシア神話が確立する前の古代ギリシアの宗教[15]、宗教と芸術の関係を考察した[15]

とくに「祭式」(: Ritual)、「年毎に死と再生を繰り返す神」(Eniautos Daimon)、「ドロメノン」(ドローメノン、Dromenon)を分析概念として、ギリシア悲劇の起源は、死と再生を繰り返すディオニュソスを祀る祭式であると主張した[17]

評価・受容

ハリソンらケンブリッジ学派の学説(悲劇の起源を祭祀とする説)は、古典学界ではヴィラモーヴィッツらに否定されたが、他の分野では参照され続けている[18]。宗教学者のエリアーデは『世界宗教史』(1971年)で、ハリソンの著作を「常に参照する価値がある」と評している[19]

日本中国の学界にも影響を与えた[1][15][20]折口信夫の学説に近いが直接の影響関係はない[2]

ヴァージニア・ウルフは『自分だけの部屋英語版』(1929年)で、ハリソンとの思い出を綴り[9]ヴァーノン・リー英語版ガートルード・ベルと並ぶ同時代の女性著作家として言及している[21]T・S・エリオットも複数著作でハリソンやケンブリッジ学派に言及している[22]

21世紀には、古典学者のメアリー・ビアードらがハリソンの評伝を著している[10]

著作(日本語訳)

  • Ancient Art and Ritual (1913)
  • Mythology (1924)
    • 『ギリシャ神話論考』ハリソン著、佐々木理訳、白揚社、1943年。NDLJP:1040004
    • 『ギリシアの神々』ジェーン・E・ハリソン著、船木裕訳、筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、1994年(底本1963年版)。ISBN 978-4480081483
  • Reminiscences of a Student's Life (1925)
    • ハリソン自伝(前篇) : ヴィクトリア朝のある女性学者の一生」ジェーン・E・ハリソン著、齋藤裕訳、『流通經濟大學論集』42 (2)、流通経済大学、2007年。CRID 1050282677922738688
    • ハリソン自伝(後篇) : ヴィクトリア朝のある女性学者の一生」ジェーン・E・ハリソン著、齋藤裕訳、『流通經濟大學論集』42 (3)、流通経済大学、2008年。CRID 1050001202942564992
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脚注

参考文献

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