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ジョン・アシュバーナム (第2代アシュバーナム伯爵)
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第2代アシュバーナム伯爵ジョン・アシュバーナム(英語: John Ashburnham, 2nd Earl of Ashburnham PC、1724年10月30日 – 1812年4月8日)は、イギリスの廷臣、グレートブリテン貴族。
生涯
初代アシュバーナム伯爵ジョン・アシュバーナムと3人目の妻ジェマイマ(Jemima、旧姓グレイ(Grey)、1698年ごろ – 1731年7月7日、初代ケント公爵ヘンリー・グレイの娘)の息子として、1724年10月30日に生まれた[1]。1741年5月28日にケンブリッジ大学クレア・カレッジに入学、1749年7月3日にLL.D.の学位を修得した[1][2]。
1737年3月10日に父が死去すると、アシュバーナム伯爵位を継承した。1748年3月18日に国王ジョージ2世の寝室侍従に任命された[3]。ジョージ2世は1760年に死去したが、アシュバーナム伯爵は1762年10月10日まで賃金を受け取った[3]。1765年7月12日に枢密顧問官に[4]、23日に衣服保管長官に任命され、1775年11月10日に宮内官に転じた後、1782年5月4日までに宮内官を退任した[3]。
1754年3月18日から1757年9月20日までサセックス統監を務めた[5]。1770年3月3日にサセックス海軍次官に任命され、1812年に死去するまで務めた[6]。また、1753年から1762年までハイド・パークとセント・ジェームズ・パークの管理人(Keeper of Hyde Park and St. James's Park)を務めた[1]。
政治でははじめホイッグ党に属し、1769年にジョン・ウィルクスの議員資格剥奪に反対したが、晩年はトーリー党に転じた[1]。
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家族
1756年6月28日、エリザベス・クロウリー(Elizabeth Crowley、1728年ごろ – 1781年2月5日 バース、ジョン・クロウリーの娘)と結婚[1]、2男4女をもうけた[7]。
- ジョージ(1758年2月2日 – 1758年2月13日[7])
- ヘンリエッタ・セオドシア(Henrietta Theodosia、1759年11月8日 – 1847年3月30日[7])
- ジョージ(1760年12月25日 – 1830年10月27日) - 第3代アシュバーナム伯爵[7]
- ジェマイマ・エリザベス(Jemima Elizabeth、1762年1月1日 – 1786年9月18日) - 1785年2月26日、グラハム侯爵ジェームズ・グラハム(後の第3代モントローズ公爵)と結婚[7]
- エリザベス・フランシス(Elizabeth Frances、1763年5月10日 – 1854年4月16日[7])
- セオドシア・マリア(Theodosia Maria、1765年6月16日 – 1822年) - 1788年6月4日、ロバート・ヴァイナー(Robert Vyner)と結婚[7]
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出典
外部リンク
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