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ジョン・アロイージ
オーストラリアのサッカー選手 ウィキペディアから
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ジョン・アロイージ(John Aloisi, 1976年2月5日 - )は、オーストラリア・アデレード出身で同国代表の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはフォワード。イタリア系オーストラリア人。 ジョン・アロイジと表記する場合もある。兄のロス・アロイージ(Ross Aloisi)もサッカー選手。
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経歴
FIFAコンフェデレーションズカップ2005に参加したオーストラリア代表チームは、全敗でグループリーグ敗退だったが、アロイージはグループリーグ3試合で4得点を挙げる活躍をみせた。
2006 FIFAワールドカップ予選では南米の強豪ウルグアイとの大陸間プレーオフ第2戦(2005年11月16日)において、ワールドカップ出場権が賭かったプレッシャーのかかるPK戦の場面で最後のキッカーを務め、オーストラリア代表チームを32年ぶりの本大会出場に導いた。本大会では出場4試合全て途中出場だったものの日本戦では3点目のゴールを挙げ、チームのベスト16進出に貢献した。
AFCアジアカップ2007決勝トーナメント1回戦ではチームは日本にPK戦の末敗れたが、先制ゴールを決めている。
2011年に現役から引退し、最後の所属クラブだったメルボルン・ハートFCのユースチームの監督に就任する。2012年5月、メルボルン・ハートFCトップチームの監督に就任。2013年12月、成績不振により解任された[1]。
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人物
![]() | この節に雑多な内容が羅列されています。 |
- ヨーロッパの各リーグを渡り歩いたベテラン選手。
- 母国オーストラリアへの愛情を事ある毎に語っており、「選手生活の最後はアデレード・ユナイテッドFC(兄のロス・アロイージは同チームのキャプテンを務めた)で終えたい」と話している。
- 2006年ドイツ・ワールドカップで対戦したブラジル代表のロナウドは「オーストラリアの選手で知っているのはアロイージだけ」と語っている。
所属クラブ
アデレード・シティFC 1991-1992
スタンダール・リエージュ 1992-1993
ロイヤル・アントワープFC 1993-1995
クレモネーゼ 1995-1997
ポーツマスFC 1997-1999
コヴェントリー・シティFC 1999-2001
CAオサスナ 2001-2005
デポルティーボ・アラベス 2005-2007
セントラルコースト・マリナーズFC 2007-2008
シドニーFC 2008-2010
メルボルン・ハートFC 2010-2011
代表歴
出場大会
試合数
- 国際Aマッチ 55試合 27得点(1997年-2008年)[2]
指導歴
メルボルン・ハートFC 2011-2012 (ユース)
メルボルン・ハートFC 2012-2013
ブリスベン・ロアーFC 2015-
脚注
外部リンク
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