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セタノキング

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セタノキング[1]日本競走馬。主な勝ち鞍に1999年さきたま杯2001年さくらんぼ記念

概要 セタノキング, 欧字表記 ...
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戦績

  • 特記事項なき場合、本節の出典はJBISサーチ[3]

1993年9月11日中山競馬場の新馬戦でデビューし、1着。3戦目の条件戦を勝って朝日杯3歳ステークスに出走するが、ナリタブライアンの11着。以降しばらくは6着以下の着順が続き、11月の900万下戦で3勝目を挙げ1500万下クラスに上がるも2着1回・3着2回と勝ちきれず、1995年夏に900万下に降級。降級して3戦目に4勝目を挙げるが、直後から約1年の休養に入り、1996年10月に復帰。5戦を要して900万下クラスを卒業して再び1500万下クラスに昇級するも、1997年中は三度の3着が最高の成績で、1998年初戦の京都競馬場での門松ステークスを勝ってオープンクラスに上がる。オープン2戦目の銀嶺ステークスを勝ち、秋にはさきたま杯で2着に入るが、再び掲示板外の成績が続く。1999年9月、2年連続出走のさきたま杯を1分23秒8のレコードタイムで勝利し、重賞初制覇を達成。その後は再び勝てない成績が続いて、2000年3月の東風ステークス5着を最後に上山競馬場・鈴木長一厩舎に移籍する。

上山への移籍初戦を勝利で飾り、続く2戦を3着、2着とした後、11月の優勝A級戦から重賞の山形記念樹氷賞を含む4連勝を記録。東北サラブレッド大賞典2着を挟み、酒田まつり賞と花笠まつり賞の2重賞を連勝、上山城大賞典2着を経て出走のさくらんぼ記念では、6番人気ながらゼンノモトーレを破って交流重賞2勝目を挙げた。さくらんぼ記念一着から再び連勝が始まり、2002年6月の酒田まつり賞1着までの間に11月のラ・フランス賞、12月の山形記念樹氷賞を含む5連勝をマークした。東北サラブレッド大賞典7着、栗駒賞2着と2戦連続で水沢競馬場に遠征後は三度の2着が最高成績で勝ち星を挙げられず、2002年12月10日の山形記念樹氷賞8着が最後のレースとなった。上山競馬廃止後の2004年11月1日に登録を抹消[2]。引退後の動静は不明。

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競走成績

要約
視点

以下の内容は、JBISサーチ[3]、netkeiba.com[4]地方競馬全国協会[2]に基づく。

さらに見る 年月日, 競馬場 ...
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血統表

セタノキング血統(血統表の出典)[§ 1]
父系ミスタープロスペクター系
[§ 2]

*キンググローリアス
King Glorious
1986 鹿毛 アメリカ
父の父
Naevus
1980 栗毛
Mr. Prospector Raise a Native
Gold Digger
Mudville *ボールドラッド(USA)
Batter Up
父の母
Glorious Natalie
1980 黒鹿毛
Reflected Glory Jester
Lysistrata
Blue Eyed Blonde The Pie King
Blue-Eyed Barbie

オキノサヤカ
1982 栗毛 日本
*サンフオードラツド
1970 栗毛
St. Alphage Red God
Sally Deans
Hill Queen Djebe
Home Rule
母の母
オキノチグサ
1978 鹿毛
*キングスカンパニー King's Troop
Miss Stephen
デンタルジヨアン *アワバブー
*ワツオニア
母系(F-No.) ワツオニア(GB)系(FN:14-c) [§ 3]
5代内の近親交配 Tom Fool 5・5(父内) = 6.25% [§ 4]
出典

脚注

外部リンク

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