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セベクエムサフ2世

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セベクエムサフ2世
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セベクエムサフ2世(Sobekemsaf II, 在位:紀元前1660年頃 - 1644年頃または前1567年頃 - 1560年頃)は、古代エジプト第17王朝の第3代または6代ファラオ(王)。資料によってはセベクエムサフ1世とも紹介される。即位名はセケムラー・ウアジカウ。

概要 セケムラー・ウアジカウ・セベクエムサフ, 古代エジプト ファラオ ...
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概要

テーベ東部の砂漠ワディ・ハンママートで行われた採掘について言及された碑文から、少なくとも7年間は統治していたことが分かっている。また、メダムードのモンチュ神殿の修復も行った。

家族構成

息子のセベクエムサフ[1]は王の後継者に指名されていた。また、王妃ネブエムハトとの間の娘セベクエムヘブは別の王の息子アメニの夫であった。このアメニの父親は同じ王朝の王であるラーヘテプアンテフ7世、あるいはセナクトエンラーの可能性がある[1]

名前と時系列上の位置

セケムラー・ウアジカウ・セベクエムサフがセベクエムサフの名前で呼ばれた何人目の王であったのかは、彼を第17王朝の家系図のどこに配置するかによって変わってくる。

テーベ王家には、彼とは別にセケムラー・シェドタウイ・セベクエムサフという王がいたことが分かっている。一部の研究者はこの王がウアジカウ・セベクエムサフの息子のセベクエムサフ王子と同一人物であると考え、二人の王が親子関係にあったと考えている。

第17王朝末期の王セケンエンラーに仕えた官吏ホルナクトの墓からはシェドタウイ・セベクエムサフの息子であるアンテフ6世の治世中にコプトス市長を務めていたミンエムハトから贈られた箱が見つかっている。これはアンテフ6世とセケンエンラーが近い時代に生きた事を示す資料であるため、一部の研究者は7年以上というウアジカウ・セベクエムサフの長い治世を間に挟むだけの時間的余地があったとは考えにくいと指摘している。

この場合、ウアジカウ・セベクエムサフがセベクエムサフ1世、シェドタウイ・セベクエムサフが2世ということになる[注釈 1]

だが一方で、ある像にはウアジカウ・セベクエムサフが「王の息子アンテフメス」なる人物を祀る儀式を行った事が記されている。アンテフメスという名は「アンテフの息子」という意味である事から、それを祭祀対象にしたウアジカウ・セベクエムサフはアンテフ5世から7世までの王たちよりも後に統治した王に位置づけてセベクエムサフ2世と呼んでいる場合もある。この記事では最新の資料である『全系図付エジプト歴代王朝史』に従ってセケムラー・ウアジカウ・セベクエムサフをセベクエムサフ2世と表記している。

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脚注

参考文献

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