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セルゲイ・サルトゥイコフ
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セルゲイ・ヴァシリエヴィチ・サルトゥイコフ伯爵(ロシア語: Сергей Васильевич Салтыков; IPA: [sʲɪrˈɡʲej vɐˈsʲilʲjɪvʲɪt͡ɕ səltɨˈkof]、1726年 - 1765年)は、ロシア帝国の貴族、宮廷侍従。大帝エカチェリーナ2世の最初の愛人として知られる。
経歴
エカチェリーナ2世は自身の回想録において、息子パーヴェル1世の実の父親がサルトゥイコフであることを強くにおわせている[1]。パーヴェルは「ほぼ確実に彼女の愛人の子」とされるが[2]、彼の外見や性格は公式の父であるピョートル3世に類似しており、真相は明らかではない[3]。好戦的で肥満体型だったパーヴェルと、背が高く顔立ちの整ったセルゲイ・サルトゥイコフとの間には、共通性がほとんどない[4]。ただし、彼女は回想録で、サルトゥイコフの兄弟が「醜悪」だったことを指摘している[5]。
セルゲイ・サルトゥイコフの出身であるサルトゥイコフ家は、もともとロマノフ家にも匹敵するほどの影響力を持っていたボヤールの家柄である。彼は、フィラレートの姉妹であるアナスタシア(ロマノフ朝初代ツァーリのミハイル・ロマノフの叔母)からだけでなく[6], 女系を通してリューリク朝の様々な血を引いていた。女帝アンナの母、プラスコヴィヤ・サルトゥイコヴァもこの血縁出身だが、彼女の血縁はセルゲイの祖父につながっており、彼との直接的な関連はない。
セルゲイの妻であるマトリョーナ・バルクの名は、彼女の祖母モデスタ・モンスに由来する。なお、モデスタはピョートル1世の愛人であるアンナ・モンスや、エカチェリーナ1世の宮廷侍従であるウィレム・モンスの姉妹である。なお、モデスタは1718年にウィレムの宮廷での不祥事を巡って公開むち打ち刑に処され、シベリアに追放された。
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系譜
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脚注
外部リンク
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