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1936年ソビエト連邦憲法

1936年に制定された2番目のソビエト連邦憲法 ウィキペディアから

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1936年ソビエト連邦憲法は、1936年に制定されたソビエト連邦憲法1924年に制定された初代憲法を置き換えたものであり、スターリン憲法などとも呼ばれている[1]

概要 ソビエト社会主義共和国連邦憲法, 原語名 ...

概要

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1936年憲法第118条・第119条

1936年憲法は1936年12月5日ソビエト連邦政府によって制定された。1936年憲法は、従来の1924年憲法で保障されていた権利に追加して、制限選挙の撤廃、普通直接選挙の採用、労働権などを追加した。

直接選挙は全ての政府機関に適用された。また労働権の他には、休息余暇医療保障、高齢者病人看護居住教育文化的援助などを含む、集団的な社会的および経済的な権利が明記された。

この憲法はヨシフ・スターリンを議長とする31名の特別委員によって執筆された。参加者にはアンドレイ・ヴィシンスキーアンドレイ・ジダーノフマクシム・リトヴィノフクリメント・ヴォロシーロフヴャチェスラフ・モロトフラーザリ・カガノーヴィチニコライ・ブハーリンカール・ラデックなどがいた[2]

ソビエト連邦の4憲法のうち、1936年憲法が最も長く続き、1944年に改定され、1977年憲法で置き換えられた。

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体制変更

1936年憲法は、従来のソビエト大会ロシア語: Съезд Советов СССР)と中央執行委員会ロシア語: Центральный исполнительный комитет СССР)を、最高会議最高会議幹部会に置き換えた。最高会議は連邦会議(連邦院)と民族会議(民族院)の二院制であった。

共産党の指導的役割

当憲法で、共産党の役割が初めて明確に定義された。第126条でソビエト連邦共産党は以下のように規定された。

勤労者の利益に適合し、かつ人民大衆の組織的自主活動および政治的積極性の発展を目的として、ソ連邦の市民に、社会諸組織、すなわち労働組合協同組合、青年組織、スポーツおよび防衛組織、文化的、技術的および学術的団体に団結する権利が保障される。また労働者階級、勤労農民および勤労インテリゲンツィアのうちの最も積極的かつ意識的な市民は、自由意志にもとづいて、共産主義社会を建設するための闘争において勤労者の前衛部隊であり、かつ勤労者のすべての社会的ならびに国家的組織の指導的中核をなすソビエト連邦共産党に団結する。ソビエト社会主義共和国連邦憲法 (1936年) 第126条

この条項は、ソビエト連邦の組織における全ての他政党禁止(一党制)の正当化に使用された。

信教の自由

憲法第124条は信教の自由を保障したが、その導入は党内で多数の反対にあった。124条の追加によって、ロシア正教会の教徒は閉鎖された教会の再開や、特定職種への就業制限の撤廃を嘆願した。また1937年の選挙では宗教系の候補者を出す試みが行われた[3]

軍と各共和国の再編成

1936年憲法の1944年改定で、連邦内の各社会主義共和国に赤軍の支部がそれぞれ設立された。それらは外交国防のための共和国レベルの兵站部でもあり、国際法上はデ・ジュリ(法令上)の独立国家として認識される余地を残した。この影響でウクライナ・ソビエト社会主義共和国白ロシア・ソビエト社会主義共和国は、1945年国際連合総会に創立メンバーとして参加し、ソビエト連邦とは別の1票を得た[4][5][6]

脚注

関連項目

外部リンク

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