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タッデーオ・ディ・バルトーロ
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タッデーオ・ディ・バルトーロ(Taddeo di Bartolo、1360年代生まれ、1422年8月26日)はイタリアの画家である。シエーナなどで働き、教会の装飾画を描いた。

略歴
シエーナで生まれた。ルネサンス期の芸術家の評伝を著したジョルジョ・ヴァザーリ(1511-1574)の著書『画家・彫刻家・建築家列伝』では、タッデーオ・ディ・バルトーロは画家のアンドレア・ディ・バルトーロ(Andrea di Bartolo 1360/70–1428)の息子としているが[1],、バルトーロ・ディ・ミーノ(Bartolo di Mino)という名の理容師の息子であったとされる。
1389年には、すでにシエーナの画家の名簿に登録されていて、その年、モンタイオーネ近郊の教会(cappella di San Paolo a Collegalli)の祭壇画を制作している。1395年から1397年の間はピサで働いていたと推定されていて、1395年作とされるピサの教会(chiesa di San Francesco やchiesa di San Paolo all'Orto)のために宗教画を制作し、1397年に、インペリアの教会(Collegiata di Triora)のための作品も制作している。
1400年にシエーナに戻り、 l'Oratorio di Santa Caterina della Notteの祭壇画などを描いた。1401年に代表作とされるモンテプルチャーノ大聖堂(Duomo di Montepulciano)の三連祭壇画を制作した。1403年にペルージャの教会(chiesa di San Francesco al Prato a Perugia)の祭壇画を制作し、この祭壇画は後に解体されウンブリア国立美術館(Galleria Nazionale dell'Umbria)に収蔵された。その後もシエーナで多くの作品を制作した。
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作品
- 聖母子 (1400)
アヴィニョンのプティ・パレ美術館 - カエサルとポンペイウス (1414)
Palazzo Pubblico, Siena - 聖ユダ・タダイとしての自画像(1401)、作品「聖母被昇天」の一部
脚注
参考文献
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