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チェルヴェニ (ミンスク州)

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チェルヴェニベラルーシ語: Чэрвень)はベラルーシミンスク州の市(ホラド)である。チェルヴェニ地区(ru)の行政中心地。

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St. Nicholas' Church in Červień (2019)

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チェルヴェニ (ミンスク州)

地理

州都ミンスクからみて南東に64kmの位置にある。またミンスクとマヒリョウを結ぶ幹線道路М4(ru)が付近を通る[注 1]。鉄道路線としては、ミンスクとアシポヴィチを結ぶ路線のプハヴィチ駅(ru)が最も近い。

市内をチェルヴェンカ川(旧称イフメンカ川)が流れる。

人口

人口の変遷(概数を含む)は以下のとおりである。

  • 1897年:4573人
  • 1907年:5390人[1]
  • 1939年:6400人
  • 1959年:8200人
  • 1970年:10200人
  • 1991年:11600人[2]
  • 2006年:10100人
  • 2016年:9718人[3]

歴史

1923年まで、チェルヴェニはイフメン(ロシア語:イグメン。以下、属する国家にかかわらず便宜上イグメンと記載する。)という名称だった[4]。イグメンに関する最初の言及は1387年の記録である。

15世紀前半、イグメンはリトアニア大公国のKęsgailos家(ru)の所領であり、1447年からヴィリニュス司教(lt)領となった。行政区画上は14世紀半ばよりポーランド・リトアニア共和国ミンスク県に属した。

1793年にロシア帝国領となると、メステチコ(大村)からゴロド(市)へと昇格し、イグメン郡(ru)の行政中心地となった。20世紀に入りソビエト連邦が成立すると、ライオン(地区)の行政中心地となった。1923年にチェルヴェニに改称された。

第二次世界大戦が始まると、1941年にナチス・ドイツ軍に占領された。在住のユダヤ人はゲットー(チェルヴェニ・ゲットー(ru))に送られ、1942年2月に全て殺害された。

ソビエト連邦の崩壊を経てベラルーシとなり、現在に至る。

出身者

脚注

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