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チャールズ・カーネギー (第11代サウスエスク伯爵)

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チャールズ・カーネギー (第11代サウスエスク伯爵)
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第11代サウスエスク伯爵チャールズ・アレグザンダー・バナマン・カーネギー英語: Charles Alexander Bannerman Carnegie, 11th Earl of Southesk KCVO1893年9月23日1992年2月16日)は、スコットランド貴族。妻は初代ファイフ公爵アレグザンダーエドワード7世の第一王女(プリンセス・ロイヤルルイーズの次女モード王女。第3代ファイフ公爵ジェイムズ・カーネギーの父。1905年以前はチャールズ・カーネギー閣下(The Honourable Charles Carnegie)と名乗り、1905年から1942年までカーネギー卿(Lord Carnegie)と名乗った。

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カーネギー卿とモード王女の結婚式での様子、1923年11月12日。

生涯

第10代サウスエスク伯爵チャールズ・カーネギーとエセル・メアリー・エリザベス・バナマン(Ethel Mary Elizabeth Bannerman、1947年12月10日没、第9代準男爵サー・アレグザンダー・バナマンの娘)の息子として、1893年9月23日に生まれた[1]

1913年2月5日、王立軍事学校英語版Royal Military College (RMC))から少尉としてスコッツガーズに配属された[2]。1914年10月25日、中尉に昇進した[3]。1915年1月2日に一時的階級として大尉(temporary captain)に昇進[4]、同年10月18日に正式に大尉に昇進した[5]

1917年4月6日に補佐官(Aide-de-camp (A.D.C.))としての臨時任命を受け[6](ただし、任命日付は後に1917年5月7日に修正された[7])、同年6月16日にインド総督付きの補佐官に配属された後[8]、1919年3月28日に臨時任命から辞任[9]、1919年8月14日にスコッツガーズに復帰した[10]。1920年12月7日に再び補佐官としての任命を受けたが[11]、1922年2月2日に補佐官を辞任[12]、同年7月6日にスコッツガーズに復帰した[13]

1925年4月15日に陸軍から引退[14]、退役軍人名簿には1915年1月2日に任命された大尉として登録された[15]1926年新年叙勲英語版において、1926年1月1日にロイヤル・ヴィクトリア勲章ナイト・コマンダーを授与された[16]。1944年6月24日、名誉少佐に昇進した[17]

1930年7月3日、キンカーディンシャー副統監の1人に任命された[18]。1947年10月2日、アンガス副統監の1人に任命された[19]

1941年11月10日に父が死去すると、サウスエスク伯爵位を継承した[1]

1992年2月16日に死去、息子ジェームズが爵位を継承した[1]

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家族

1923年6月26日に国王ジョージ5世の許可を得たのち[20]、同年11月12日にモード王女(1893年 – 1945年、初代ファイフ公爵アレグザンダー・ダフルイーズ王女の娘)と結婚、1男をもうけた[1]

1952年5月16日、エヴリン・ジュリア・ウィリアムズ=フリーマン(Evelyn Julia Campbell、1992年8月30日没、アーサー・ピア・ウィリアムズ=フリーマンの娘)と再婚した[1]

出典

外部リンク

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