トップQs
タイムライン
チャット
視点
チャールズ・タウリー=ロウ (第3代エレンバラ男爵)
ウィキペディアから
Remove ads
第3代エレンバラ男爵チャールズ・エドマンド・タウリー=ロウ(英語: Charles Edmund Towry-Law, 3rd Baron Ellenborough、出生名チャールズ・エドマンド・ロウ(Charles Edmund Law)、1820年11月17日 - 1890年10月9日)は、イギリスの貴族。

生涯
チャールズ・ユワン・ロウ閣下(1792年6月14日 – 1850年8月13日)と妻エリザベス・ソフィア(Elizabeth Sophia、旧姓ナイチンゲール(Nightingale)、1864年6月25日没、第10代準男爵サー・エドワード・ナイチンゲールの娘)の息子として、1820年11月17日に生まれた[1][2]。ウィンチェスター・カレッジで教育を受けた[1]。
1844年2月2日、コルネット(騎兵少尉)としての辞令を購入して、クイーンズ・ロイヤル・ランサーズ第9連隊に配属された[3]。第一次シク戦争の戦功でサトレジ・メダルを授与され[1]、1846年5月8日に第31歩兵連隊の中尉への辞令を購入して昇進した[4]。その後は一旦半給になるものの、1847年1月29日に第69歩兵連隊に転属する形で復帰した[5]。同年10月29日、第57歩兵連隊に転じた[6]。1851年12月26日に大尉への辞令を購入して昇進[7]、1854年7月7日に西インド第3連隊の少佐への辞令を購入して昇進した[8]。1855年1月5日、中佐への辞令を購入して昇進した[9]。1858年、大佐に昇進した[1]。
1871年12月22日に伯父エドワードが死去すると、エレンバラ男爵位を継承した[1]。政治では保守党に属した[1]。
1885年8月27日、国王の認可状を受けて父方の祖母の旧姓「タウリー」を姓に加えた[1]。
1890年10月9日にロンドンのバッキンガム・ゲート6号で死去、ケンサル・グリーン墓地に埋葬された[1]。息子チャールズ・タウリー・ハミルトンが爵位を継承した[1]。
Remove ads
家族
1840年11月23日、イリナ・セシル・ハワード(Eleanor Cecil Howard、1817年4月26日 – 1852年6月15日、第5代ウィックロー伯爵ウィリアム・ハワードの娘)と結婚したが[1]、2人の間に子供はいなかった[2]。
1855年6月28日、アン・エリザベス・デイ(Anne Elizabeth Day、1860年2月29日没、ジョン・フィッツジェラルド・デイの娘)と再婚[1]、1男をもうけた[2]。
- チャールズ・タウリー・ハミルトン(1856年4月21日 – 1902年6月26日) - 第4代エレンバラ男爵[1]
1863年8月26日、イザベラ・オグルビー(Isabella Ogilby、1874年4月22日没、アレクサンダー・オグルビーの娘)と再婚[1]、2女をもうけた[2]。
- ガートルード・イーディス(Gertrude Edith、1869年1月4日 – 1895年3月19日[2])
- エミリー・ジュリア(1872年12月9日 – 1926年11月21日) - 生涯未婚[10]
1874年12月1日、ビアトリス・ジョアンナ・ナッチブル(Beatrice Joanna Knatchbull、1932年5月17日没、第10代準男爵サー・ノートン・ジョセフ・ナッチブルの娘)と再婚した[1][11]。
Remove ads
出典
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads