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チョバン・ムスタファ・パシャ

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チョバン・ムスタファ・パシャ
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チョバン・ムスタファ・パシャトルコ語Çoban Mustafa Paşa、1529年没)は、オスマン帝国の軍人、政治家。ボスニア・ヘルツェゴビナまたはセルビアサンザクで生まれたとされる[1]

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スコピエのムスタファ・パシャ・モスク

デヴシルメの出であり、そこからイェニチェリとして頭角を現し、徐々に階級を上げた。カプシバシュ(kapıcıbaşı、宮廷の門番)やワズィール宰相)、ベイレルベイ(知事)を務めた。

カプシバシュを務めた後、ムスタファは1511年にバヤズィト2世の下でワズィールに任命された。スレイマン1世の治世では、1522年にエジプト州ベイレルベイに任命され、1年間務めた[2][3][4]

また、チョバン・ムスタファ・パジャは、軍の指揮官としてもスレイマン1世に仕えた。1521年のベオグラード包囲戦と、1522年のロードス包囲戦では、部隊を率い、オスマン帝国に決定的な勝利をもたらした。ロードス包囲戦の活躍により、チョバン・ムスタファ・パジャはSerdar-ı Ekrem (戦闘で活躍したワズィールに与えられる称号)を得た。

チョバン・ムスタファ・パジャは1529年、ウィーン包囲戦に向かう途中で死去した。

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遺産

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チョバン・ムスタファ・パジャが建造したと伝わる橋(ブルガリア、スヴィレンラード)

1492年、チョバン・ムスタファ・パジャは自身の名を冠したモスクスコピエに建設した[5]

また、ムスタファ・パシャはブルガリア南部のマリツァ川に、スヴィレングラード英語版を建設し、自らの名を冠してムスタファ・パシャ橋と名付けた。この橋は、現在はスヴィレングラードの古い橋英語版として知られている[1]

ムスタファ・パシャの霊廟はトルコゲブゼにある[3]。これは、ムスタファ・パシャが生前に建てたもので、1522年に完成した[2]

外部リンク

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マリツァ川のムスタファ・パシャ橋の全景

参考文献

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