トップQs
タイムライン
チャット
視点

デ・ステイル

芸術運動(オランダ) ウィキペディアから

デ・ステイル
Remove ads

デ・ステイル (De Stijl) は、1917年テオ・ファン・ドースブルフ: Theo van Doesburg, 1883年 - 1931年)がオランダライデンで創刊した雑誌、及びそれに基づくグループの名称。「デ・ステイル」とはオランダ語様式英語: The Style)を意味する。

Thumb
ヘリット・リートフェルトによる「赤と青のいすオランダ語版英語版」(1917)
Thumb
ヘリット・リートフェルトによるシュレーダー邸

概要

その理念は、グループの重要なメンバーでもある画家ピエト・モンドリアンが主張した新造形主義(ネオ・プラスティシズム、: Neoplasticism: Nieuwe beelding)であった。しかし、リーダーであるドースブルフの考えは、絵画よりも建築を重視し、1924年には、垂直と水平だけでなく、対角線を導入した要素主義(エレメンタリズム)を主張した。そのため、両者の対立は決定的となり、モンドリアンは、1925年にグループを脱退した。

その後、雑誌『デ・ステイル』は1928年まで刊行され、グループ自体はドースブルフの死(1931年)まで続いたが、期間は短く大きな潮流になることはなかった。しかし、その洗練されたスタイルはオランダを代表するキャラクター「ミッフィー」(1955年)を生みだすディック・ブルーナ[1]や、イヴ・サン=ローランの「モンドリアン・ルック」(1955年)[注釈 1]などに影響を与えた[3]

このグループは、建築や抽象絵画の重視、バウハウスへの大きな影響、ダダ構成主義の橋渡しなど、国境や美術の分野を越えた活動を行ったと評価できる。

メンバー

テオ・ファン・ドースブルフ、ピエト・モンドリアン以外のグループのメンバーとしては、

などがいる。

Remove ads

脚注

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads