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トッド・フレイジャー

アメリカの野球選手 (1986 - ) ウィキペディアから

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トッド・ブライアン・フレイジャー: Todd Brian Frazier , 1986年2月12日 - )は、 アメリカ合衆国ニュージャージー州オーシャン郡ポイントプレザント英語版出身の元プロ野球選手内野手)。右投右打。愛称はトッド・ファーザーTodd Father[1]

概要 基本情報, 国籍 ...
概要 オリンピック, 男子 野球 ...

2021年開催の東京オリンピック 野球 銀メダリスト。

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経歴

要約
視点

プロ入りとレッズ時代

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シンシナティ・レッズ時代
(2013年6月25日)

2007年MLBドラフト1巡目追補(全体34位)でシンシナティ・レッズから指名され、プロ入り[2]

2011年5月23日のフィラデルフィア・フィリーズ戦メジャーデビュー[2]

2012年は衰えていたスコット・ローレンに代わって、シーズン途中から三塁手のレギュラーを掴んだ。また、チームの主砲であるジョーイ・ボットの離脱時には、一塁手としても試合に出場した。規定打席には到達しなかったが、128試合に出場し、19本塁打・67打点を記録[2]。ナ・リーグ新人王の投票では、ブライス・ハーパーWSH)、ウェイド・マイリーARI)に次いで3位に入った。

2013年は三塁のレギュラーの座を完全に射止めて、150試合に出場[2]。うち140試合で三塁のスタメンを務めた。打率こそ.273から.234まで低下したが、29二塁打・2年連続となる19本塁打を記録した[2]。一方で、前述の打率低下に加え、三振が125まで増えた。

2014年は三塁を中心に、ボットが戦線を離脱した際には一塁も務めて157試合に出場する。打撃面では、三振の数こそ前年から増やして139個だったが、打率は.273と、2012年と同水準まで回復。更にホームランも前年から10本上乗せし、7月20日に自身初の20本塁打に到達すると、その後1か月間ほど本塁打が出ない時期が続いたが、最終的にはナショナルリーグ4位となる29本塁打を放った。打点でもメジャー4年目で初となる80打点を記録し、本塁打・打点・安打はチームトップの数字だった。打撃以上に長足の進歩を遂げたのがスピードで、2011年 - 2013年までの3年間で通算盗塁数は10個だったが、この年だけでその倍に当たる20盗塁を決め、「20本塁打20盗塁」を同時達成した。2014年のナ・リーグで「20本塁打・20盗塁」を同時に達成したのはフレイジャーを含めて3人だけという記録だった。2014年のレッズは、主砲のボットの戦線離脱とジェイ・ブルースの不振に見舞われ、ブランドン・フィリップスライアン・ラドウィックといった他の主力打者の成績も軒並み低下した。そんな中フレイジャーは、新鋭の正捕手であるデビン・メソラコと共に大砲として打線を支えた。

2015年2月8日、2年総額1200万ドルで契約を延長した。この年は、前半戦で打率.284、25本塁打、57打点・8盗塁という成績を記録[3]し、2年連続でオールスターのメンバーに選出された。また、本塁打競争のメンバーにも選出され、1回戦プリンス・フィルダーを14-13で下し準決勝に進出すると、準決勝ではジョシュ・ドナルドソンを10-9で下し決勝に進出。15-14でジョク・ピーダーソンを下し、ホームのシンシナティで優勝を果たした。オールスターの試合には「2番・三塁」でスタメン出場したが、3打数無安打に終わった[4]。合計157試合に出場して打率.255、35本塁打、89打点、13盗塁を記録した。打数はナ・リーグ最多だった。

ホワイトソックス時代

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シカゴ・ホワイトソックス時代
(2016年4月29日)

2015年12月16日にレッズ、シカゴ・ホワイトソックスロサンゼルス・ドジャース間の三角トレードで、ホワイトソックスへ移籍した[5]

2016年は158試合に出場して打率.225、40本塁打、98打点、15盗塁という成績を記録した[2]。本塁打は自身初の40本台で、アメリカンリーグ6位にランクインした。

2017年1月13日に単年1200万ドルで契約延長した。

ヤンキース時代

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ニューヨーク・ヤンキース時代
(2017年9月7日)

2017年7月19日にタイラー・クリッパードイアン・クラーキン英語版ブレイク・ラザーフォード英語版ティト・ポロとのトレードで、トミー・ケインリーデビッド・ロバートソンと共にニューヨーク・ヤンキースへ移籍した[6]。8月24日のデトロイト・タイガース戦でアレックス・ウィルソンから故意死球を受け、両チームから選手が入り乱れる乱闘になった[7]。シーズン全体では147試合に出場して打率.213、27本塁打、76打点の成績だった。ポストシーズンには、チームのムードメーカーとして重要な役割を果たした[8]。オフの11月2日にFAとなった[9]

メッツ時代

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ニューヨーク・メッツ時代
(2018年7月7日)

2018年2月7日にニューヨーク・メッツと2年総額1700万ドルで契約を結んだ[10]。5月3日に今シーズンの審判は以前のシーズンよりもストライク判定の精度が悪いと主張し、この件についてMLBのコミッショナーであるロブ・マンフレッドと会談することを求めた。しかし、MLBはフレイジャーの発言についてはコメントしていないと述べた[11]。5月8日にハムストリングの痛みのために故障者リスト入りした。6月5日に復帰したが、7月9日に左胸郭筋の負傷で再び故障者リスト入りした。最終成績は115試合の出場で打率.213、18本塁打、59打点だった。

2019年スプリングトレーニング中に左腹斜筋を負傷し、故障者リスト入りして開幕を迎えた[12]。4月22日にメジャーへ復帰し、8年連続となる二桁本塁打を記録した。オフの10月31日にFAとなった[13]

レンジャーズ時代

2020年1月15日にテキサス・レンジャーズと500万ドルの単年契約を結んだことが発表された[14]。オプションとして2021年シーズンの選択権を球団側が所持し、バイアウトの際には150万ドル支払われる。背番号はメッツ時代と同じ「21」で、2020年シーズンの年俸は350万ドルで、バイアウトを含め500万ドルとなる。

メッツ復帰

2020年8月31日に後日発表選手とのトレードで古巣のメッツへ移籍した[15]。9月19日のアトランタ・ブレーブス戦の9回表、13点差の大量点差で負けており投手温存のために登板した。スローボールナックルボールを駆使し1回1奪三振無失点であった[16]。オフの10月28日に球団が延長オプションの放棄を発表したため、FAとなった[17]

パイレーツ時代

2021年2月20日にピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[18]。3月26日に自ら選んで契約を途中で放棄する「オプトアウト」を行使して一旦FAとなるが、30日に改めてマイナー契約を結び直した[19]。シーズンでは 4月22日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[20]。だが、13試合で打率.086と振るわず、5月10日にDFAとなり[21]、13日にFAとなった[22]

独立リーグ時代

2021年6月9日に独立リーグであるフロンティアリーグサセックスカウンティ・マイナーズ英語版と契約した[23]。前後するが、5月23日に東京オリンピック野球アメリカ大陸予選アメリカ合衆国代表メンバーに選出された[24]。7月2日には最終メンバー入りが発表された[25]

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人物

長兄のチャーリー・フレイジャー・ジュニア、次兄のジェフ・フレイジャー英語版は共に元プロ野球選手。チャーリー・ジュニアは元フロリダ・マーリンズ傘下の外野手で、現在は故郷のニュージャージー州で野球教室を開いている。ジェフも外野手で、2010年にタイガースでメジャーデビューを果たした[26]

詳細情報

要約
視点

年度別打撃成績

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  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別投手成績

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年度別守備成績

内野守備
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外野守備
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投手守備
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表彰

記録

背番号

  • 21(2011年 - 2017年7月18日、2018年 - 2020年8月30日、2020年9月5日 - 同年終了)
  • 29(2017年7月19日 - 同年終了)
  • 33(2020年9月2日 - 同年9月4日)
  • 99(2021年)

代表歴

2020年東京オリンピックの野球競技・アメリカ合衆国代表

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脚注

関連項目

外部リンク

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