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ニコルスブルク仮条約
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ニコルスブルク仮条約(独: Vorfrieden von Nikolsburg)は、1866年7月26日に結ばれた普墺戦争の仮講和条約。
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ニコルスブルク仮平和条約などとも表記される。
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概要
普墺戦争(1866年勃発)が始まってまもない7月初旬、プロイセン軍はケーニヒグレーツの戦い(チェコ語地名ではフラデツ・クラロヴェ)でオーストリア・ザクセン連合軍を撃破した。
こうして、戦争開始まもなくオーストリアが敗勢濃厚となる中で、フランス第二帝政のナポレオン3世が早期の休戦交渉を提案した。
プロイセン国内ではウィーン占領を主張する意見もあったが、ビスマルクはこの休戦提案を受け入れたため、ボヘミア南部のミクロフ(ドイツ語ではニコルスブルク)において休戦交渉が行われ、7月26日に仮講和条約が成立した。
普墺戦争の正式な講和条約は、約1ヶ月後のプラハ条約であるが、既にこの条約において、プラハ条約で示されているような諸合意の多くが示されていた。
参考文献
- 成瀬治ら編 『世界歴史大系 ドイツ史2』 山川出版社、1996年
関連項目
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