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ヌメリウス・ファビウス・ピクトル

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ヌメリウス・ファビウス・ピクトルラテン語: Numerius Fabius Pictor、生没年不詳)は共和政ローマパトリキ(貴族)出身の政治家・軍人。紀元前266年執政官(コンスル)を務めた。

概要 ヌメリウス・ファビウス・ピクトルNumerius Fabius Pictor (N. Fabius C. f. M. n. Pictor), 出生 ...

経歴

一族

凱旋式のファスティによれば、ヌメリウス・ファビウス・ピクトルの父はガイウス・ファビウス、祖父はマルクス・ファビウスである。したがって、画家として有名なガイウス・ファビウス・ピクトル(en)が彼の父、紀元前269年の執政官であるガイウス・ファビウス・ピクトルが兄であると思われる。

外交使節として

ピクトルは紀元前273年にエジプト王プトレマイオス2世に派遣された外交使節の一員に選ばれている。同行したのは紀元前269年に執政官を務める事になるクィントゥス・オグルニウス・ガッルス[1]、使節を率いたのは伯父に当たるクィントゥス・ファビウス・マクシムス・グルゲスであった[2][3]

コンスルシップ

紀元前266年に執政官に就任、同僚執政官はデキムス・ユニウス・ペラであった[4]。両執政官はウンブリアへ出征し、サルシナに対して勝利して凱旋式を実施し、さらにはカラブリアにも出征してメサッピア(en)らに対する勝利のために任期中に2度目の凱旋式を実施している[5]。この勝利により、ほぼイタリア全土にローマの支配が及んだ。

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脚注

参考資料

関連項目

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