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ハイロ・ディアス
ベネズエラの野球選手 (1991-) ウィキペディアから
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ハイロ・ホセ・ディアス・ヘルナンデス(Jairo Jose Díaz Hernandaz, 1991年5月27日 - )は、ベネズエラのアンソアテギ州プエルト・ラ・クルス出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。アトランティックリーグのガストニア・ハニーハンターズ所属。
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経歴
要約
視点
プロ入りとエンゼルス時代
2007年8月1日にアマチュア・フリーエージェントでロサンゼルス・エンゼルスと捕手として契約。
2008年に傘下のルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・エンゼルスでプロデビュー。31試合に出場して打率.184、1本塁打、7打点、1盗塁のを記録した。
2009年もルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・エンゼルスでプレーし、24試合に出場して打率.118、5打点を記録した。
2010年から投手へ転向。ルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・エンゼルスでプレーし、16試合に登板して3勝1敗3セーブ、防御率3.67、28奪三振を記録した。
2011年はまずルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・エンゼルスでプレーし、11試合(先発10試合)に登板して4勝1敗、防御率4.08、44奪三振を記録した。8月にA級シーダーラピッズ・カーネルズへ昇格。4試合に先発登板して0勝3敗、防御率8.20、10奪三振を記録した。
2012年はまずA級シーダーラピッズで13試合に先発登板して2勝7敗、防御率7.70と結果を残せず、6月からパイオニアリーグのルーキー級オレム・オウルズでプレー。14試合に先発登板して5勝6敗、防御率5.30、61奪三振を記録した。
2013年からリリーフに転向。開幕からA級バーリントン・ビーズ[1]でプレーし、32試合に登板して0勝3敗8セーブ、防御率3.97、28奪三振を記録した。7月にA+級インランド・エンパイア・シックスティシクサーズへ昇格。A+級インランド・エンパイアでは13試合に登板して0勝2敗、防御率8.87、21奪三振を記録した。
2014年はまずA+級インランド・エンパイアでプレーし、29試合に登板して2勝3敗4セーブ、防御率4.78、37奪三振を記録した。6月にAA級アーカンソー・トラベラーズへ昇格。AA級アーカンソーでは27試合に登板して2勝1敗11セーブ、防御率2.20、48奪三振を記録した。9月8日にエンゼルスとメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りし[2]、同日のクリーブランド・インディアンス戦でメジャーデビュー。9点リードの9回裏から登板し、1回を無安打無失点2四球2三振に抑えた。この年メジャーでは5試合に登板して防御率3.18、8奪三振を記録した。
ロッキーズ時代
2014年12月11日にジョシュ・ラットリッジとのトレードで、コロラド・ロッキーズへ移籍した[3]。
2015年は21試合に登板して0勝1敗、防御率2.37、18奪三振を記録した。
2016年3月6日にトミー・ジョン手術を受ける事が発表され[4]、この年は全休した。
2018年6月10日にDFAとなり[5]、12日に自由契約となった[6]。6月18日に再びロッキーズとマイナー契約を結んだ[7]。
2019年の開幕は傘下のAAA級アルバカーキ・アイソトープスで迎え、5月22日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[8]。この年は56試合に登板して6勝4敗5セーブ、防御率4.53、63奪三振を記録した。
2020年は24試合に登板して1勝2敗4セーブ、防御率7.65、17奪三振を記録した[6]。
2021年4月1日にDFAとなり、5日にマイナー契約で再契約した[9]。この年はメジャーでの登板はなかった。10月5日にFAとなった[6]。
独立リーグ時代
2022年6月7日にアトランティックリーグのガストニア・ハニーハンターズと契約した[6]。
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詳細情報
年度別投手成績
- 2020年度シーズン終了時
年度別守備成績
- 2020年度シーズン終了時
背番号
- 49(2014年)
- 47(2015年、2017年)
- 37(2019年 - 2020年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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