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ハリーオン
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ハリーオン(Hurry On 1913年 - 1936年)は第一次世界大戦の最中にイギリスで活躍した競走馬であり、後年種牡馬としても成功を収めた。
来歴
父はケンブリッジャーステークスの優勝馬マルコヴィル、母はトウトスイトである。オーナーはウィスキー醸造で財を成したジェイムス・ブキャナン、調教師はのちに歴史的名調教師としての評価を受ける、フレデリック・ダーリングであった。
現役時代
相当な巨漢馬であったため、仕上がりが遅れ、初出走は3歳の6月であったが、戦時中のためニューマーケット競馬場で開催されたセントレジャーや、ジョッキークラブカップなど6戦のすべてを圧勝して、無敗のまま現役を終えた。ニューベリーステークスでは同年の1000ギニー勝ち馬を破り、セプテンバーステークスでは同年の2000ギニー勝ち馬を負かしている。
種牡馬時代
ハリーオンは種牡馬としても大成功を収め、3頭のダービー馬キャプテンカトル・コロナック・コールボーイや、アスコットゴールドカップに勝ち、種牡馬としても成功したプリシピテイションなど、多数の活躍馬を輩出し、1926年にはイギリスリーディングサイヤーとなった。同じ1926年のアメリカのリーディングサイヤーは、同じマッチェム系のマンノウォーであり、マッチェム系は空前の繁栄を迎えていた。また、同じ頃日本では同系のチャペルブラムプトンがリーディングサイヤーになっている。
血統表
ハリーオンの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ハリーオン系/マッチェム系 |
[§ 2] | ||
父 Marcovil 1903 栗毛 イギリス |
父の父 Marco1892 栗毛 イギリス |
Barcaldine | Solon | |
Ballyroe | ||||
Novitiate | Hermit | |||
Retty | ||||
父の母 Lady Villikins1885 栗毛 イギリス |
Hagioscope | Speculum | ||
Sophia | ||||
Dinah | Hermit | |||
The Ratcatcher's Daughter | ||||
母 Tout Suite 1904 栗毛 イギリス |
Sainfoin 1887 栗毛 イギリス |
Springfield | St. Albans | |
Viridis | ||||
Sanda | Wenlock | |||
Sandal | ||||
母の母 Star1887 栗毛 イギリス |
Thurio | Cremorne | ||
Verona | ||||
Meteor | Thunderbolt | |||
Duty | ||||
母系(F-No.) | (FN:2-d) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Hermit 父内 4×4=12.50%、 Stockwell 母内 5×5×5=9.38% | [§ 4] | ||
出典 |
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関連項目
- ハリーオン系 - 本馬を父祖とする一代父系。
参考文献
- 山野浩一『世界の名馬』 2巻、中央競馬ピーアール・センター、1994年。ISBN 4-924426-41-5。 [要ページ番号]
脚注
外部リンク
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