トップQs
タイムライン
チャット
視点
ハワード男爵
ウィキペディアから
Remove ads
ハワード男爵(英: Baron Howard)は、イングランド貴族の男爵位。

1470年10月15日、ジョン・ハワードがイングランド王ヘンリー6世により議会へ召集されたことに始まる[註釈 1]。彼はサー・ロバート・ハワードと初代ノーフォーク公爵(第1期)トマス・モウブレーの娘マーガレットの息子で、後にリチャード3世の即位を支持してノーフォーク公爵(第3期)を授けられた。しかし1485年8月22日のボズワースの戦いでリチャード3世と共にリッチモンド伯爵ヘンリー・テューダー(後のイングランド王ヘンリー7世)に敗死し、ヘンリー7世によって私権剥奪に処された[1]。
ジョンの息子である初代サリー伯爵トマス・ハワードは1490年に私権剥奪を解除され、1514年にはノーフォーク公爵も返還された。ただしハワード男爵位の扱いは不明確で、1490年の私権回復の対象になっていない可能性が高く、そうであればハワード男爵位は現在に至るまで剥奪されたままということになる[註釈 2]。一方で1490年に回復していたとすれば、以後代々のノーフォーク公爵に従属称号として相続され、娘しかいなかった第9代ノーフォーク公爵が1777年に死去したときに保持者不在(abeyance)[訳語疑問点]になったことになる[註釈 3][1]。
Remove ads
ハワード男爵 (1470年)
- ジョン・ハワード (初代ハワード男爵) (1425年頃 - 1485年)
- 1483年、ノーフォーク公爵(第3期)に叙爵
- 1485年、剥奪。
脚注
関連項目
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads