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パウリーネ・フォン・ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ

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パウリーネ・フォン・ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ
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パウリーネ・フォン・ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハPauline von Sachsen-Weimar-Eisenach, 1852年7月25日 - 1904年5月17日)は、ドイツ・ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公家の大公女。又従兄の大公世子に嫁ぎ、同家の最後の大公ヴィルヘルム・エルンストの母となった。

概要 パウリーネ Pauline, 全名 ...
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生涯

大公カール・アレクサンダーの従弟ヘルマン大公子と、その妻のヴュルテンベルク王女アウグステの間の第1子、長女として生まれた。全名はパウリーネ・イーダ・マリー・オルガ・ヘンリエッテ・カタリーナ(Pauline Ida Marie Olga Henriette Catharina)。父はヴュルテンベルク王国軍に勤務し、同国の王ヴィルヘルム1世の末娘を娶ってシュトゥットガルトに居を構えたため、一家は「ヴュルテンベルク分家(württembergische Linie)」と呼びならわされた。

1873年8月26日フリードリヒスハーフェンにて、カール・アレクサンダー大公の長男で又従兄にあたるカール・アウグスト大公世子と結婚。ちょうどオペラ『アイーダ』のイタリア国外では最初の上演がヴァイマルで予定されており、その初演日と2人の結婚予定日が重なったため、結婚の日が延期されている[1] 。夫妻の間には2人の息子が生まれた。

夫は1894年義父に先立って死去し、1901年に長男が祖父から大公位を引き継いだ。1901年、私財を投じてラムスラ英語版にこの地域では最古の保育園となる「パウリーネ院(„Paulinenstift“)」を設立した。ヴァイマルのベルヴェデーレ宮殿ドイツ語版を終の住処としたが、彼女はこの小宮殿に居住した大公家最後の人間である[2] 。死後、ヴァイマル大公家霊廟ドイツ語版に葬られた。

バート・ベルカ英語版の町のシンボルとして建立されたパウリーネ塔ドイツ語版は、大公の母であるパウリーネの名前を採っている[3]ヨーゼフ・ヴィクトル・フォン・シェッフェル英語版の長編叙事詩『ゼッキンゲンのラッパ手(Der Trompeter von Säckingen op. 45)』の5つの作中歌謡曲は、パウリーネに献呈されている[4]

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参考文献

  • Otto Devrient: Zur Einzugsfeier der Hohen Neuvermählten Ihrer Königlichen Hoheiten des Erbgroßherzogs Karl August und der Frau Erbgroßherzogin Pauline von Sachsen-Weimar-Eisenach., Kühn, 1873

引用

外部リンク

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