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ヒファロサウルス
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ヒファロサウルス[1]またはハイファロサウルス[2](学名:Hyphalosaurus)は、長く伸びた頸椎と尾椎とを特徴とする、前期白亜紀の東アジアに生息した淡水棲の絶滅した爬虫類の属[1]。コリストデラ類に属し、中華人民共和国遼寧省に分布する熱河層群義県層から産出したH. lingyuanensisと、義県層および九佛堂層から産出したH. baitaigouensisの2種を含む[3]。
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特徴
要約
視点

ヒファロサウルスは一連の淡水湖の湖沼堆積物である熱河層群において比較的広く分布している。H. lingyuanensisのいくつかの標本とH. baitaigouensisの数千の標本が義県層から産出しており、卵の中の胚から完全に成長した成体まで一連の成長段階が含まれている[4]。H. baitaigouensisは元々より新しい時代の地層である九佛堂層から報告されていた。後の研究で本種の化石層が義県層に属しうる可能性があること、その中でもH. lingyuanensisと異なる地域の新しい時代の岩石に由来することが示唆されたが[5]、2024年の研究で九佛堂層から産することが改めて確認された[3]。H. lingyuanensisとH. baitaigouensisは解剖学的特徴が類似しており、ともに成体は最大で全長約0.8メートルに達する。小型の頭部には針状の歯が多数配列し、極めて長い尾部には55個を超過する椎骨が存在した。2種の主要な差異としては、H. lingyuanensisの頸椎数が19個であるのに対し、H. baitaigouensisの頸椎数が26個であることが挙げられる[4]。
2007年には双頭のH. lingyuanensisの標本が報告された。これは既知の範囲内で多頭症の最古の例であり、またそのような症例を示す爬虫類化石として最初の例である[6]。
皮膚

ヒファロサウルスの標本には明瞭な皮膚の印象と共に記載されたものがある。ある標本はH. lingyuanensisのものであり、より明瞭な印象を伴うもう1つの標本は化石商人が誤って化石の頸部を破損したため種の同定が不能であるものの、同様の鱗のパターンを示している[5]。
ヒファロサウルスは主に小型かつ不規則に配列した多角形の鱗に被覆されていたが、これらは体全体で形状が異なっていた。後肢の鱗は胴部のものより細かくかつ不規則であり、尾部の鱗は正方形に近く、またより規則的な列として配列した。小型の鱗に加え、2列の大型の鱗甲と緩やかな曲がりの竜骨も体の側面に沿って存在。内1列は直接側面に、もう1列はそれよりやや上、または下に位置し、鱗甲の大きさが前者の四分の一であった。側面に位置するより大型の鱗甲の列は尾の基部まで伸びており、列全体でサイズが均一であった[5]。
尾には骨格の縁を遥かに超過して伸びる軟組織が保存されている。これは既に平坦な外見を示す尾椎と相まって、皮膚の稜が尾の上部と下部に伸びて鰭を形成していた事を示唆する。また手足には水かきが存在した[5]。
2023年に記載されたH. lingyuanensisの標本は体の大半の部位に由来する部分的な鱗が保存されており、頭部の鱗は菱形、頸部の鱗は長方形であった。足には水かきが確認された。外皮はワニのものに類似すると考えられた[7]。
生殖

H. baitaigouensisのホロタイプ標本には胚を内包する複数の卵が体の内部や周囲に保存されている[8]。これらの卵は鉱物化した卵殻を欠くようであり、母体内で卵殻が完全には発達せず、生きた幼体として出生したことの証拠として解釈された。しかしJi et al. (2006)によるホロタイプ標本の再調査では薄く革状であるものの卵殻が明確に存在することを指摘し、ヒファロサウルスが卵胎生であること、また母親が死亡した際に当該の卵が排出された可能性が高いことを主張した[4]。Hou et al. (2010)もH. baitaigouensisの胚と柔軟な卵殻を伴う複数の卵を記載した。この卵殻はワニのものよりもトカゲのものに類似していたが、薄いながらも鉱物化していた[9]。
Ji et al. (2010)により記載されたH. baitaigouensisの標本は、対をなして配列した完全に発達した18個の胚を妊娠していた。最も後側に位置する胚は頭から先に出る姿勢で逆子になっており、この状態が母親を死に追いやった可能性がある。これにより、ヒファロサウルスが胎生であることが示唆され、生きた幼体を出産した中生代の爬虫類で唯一既知の例となった[10]。
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学名と分類
要約
視点
H. lingyuanensisのホロタイプ標本のスラブおよびカウンタースラブは北京の異なる研究者グループに提供された。1つは中国科学院古脊椎動物古人類学研究所、1つは北京自然博物館である。それぞれの研究チームが当該分類群を記載して1999年1月に独立に結果を出版しており、Hyphalosaurus lingyuanensisとSinohydrosaurus lingyuanensisという異なる2つの学名が当該分類群に与えられた。ヒファロサウルスとSinohydrosaurusは互いの鏡像であり、同一の標本のそれぞれ半分に基づいていることがただちに認識された。国際動物命名規約ではより古い学名が有効と定められているが、2001年に古生物学者のジョシュア・スミスとジェリー・ハリスは両方の学名がほぼ同時期に命名されているためどちらが客観的なシニアシノニムとしてより適切に機能するか第三者が判断すべきであると指摘した。スミスとハリスはヒファロサウルスの記載用の原稿が先に提出されていたことからヒファロサウルスをシニアシノニムとし、このためSinohydrosaurusがジュニアシノニムとなった[11]。
ヒファロサウルスが属するコリストデラ類には、吻部が長くワニに類似するネオコリストデラ類や、吻部と頸部が共に短くトカゲに類似するグループ、そして頸部が長いグループが存在する[2]。ヒファロサウルスと同じく頸部の長いコリストデラ類には日本産のショウカワ属やロシア産およびモンゴル産のフレンドゥフサウルス属が存在する[2]。以下はDong et al. (2020)に基づきコリストデラ類の内部の類縁関係を示すクラドグラムである[12]。
| Choristodera |
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古環境
ヒファロサウルスの種はいずれも淡水棲であり、長い頸部と尾部および比較的小型の四肢がその生態を反映してる。特に首長竜に類似するが、この類似は収斂進化によるものであり、両者が特別に近縁であるわけではない[9]。ヒファロサウルスはコリストデラ類の中でも最も水棲に適応しており、近縁属よりも鱗が滑らかかつ平坦であり、尾は上下に高くかつ平坦で遊泳に適し、長い頸部と水かきを伴う足を有していた。胴部の柔軟性が低く、また四肢が特に水棲に適応しているわけでなかったことから、おそらくは尾を左右に振って遊泳した。胸部は樽型をなし、厚く重い肋骨で構成されており、潜水に寄与したと推測されている[5]。
ヒファロサウルスは水深の深い湖のみに生息していたようであり、全ての標本が湖水環境の最深部に特徴的なシルト層に保存されており、深部に生息する魚類や甲殻類と共産することも多い。湿地の浅水生態系を保存している九佛堂層の堆積物では特に化石が乏しい[5]。
ヒファロサウルスは義県層において最も化石が豊富な四肢動物であり、おそらく水中の食物連鎖における重要な役割を占めていた。柔軟な長い頸部と尾部、および平坦な頭骨から、ヒファロサウルスは平坦な頭骨を持つ現生の水棲捕食動物と同様に側方波動運動を用いて魚類や節足動物といった小型の獲物を捕食していたことが示唆される。他のコリストデラ類と異なり、ヒファロサウルスは待ち伏せ型の捕食者というよりも活発な捕食者であった可能性が高い。化石は小型魚類のリコプテラと共に保存されていることが多く、少なくとも1個以上の標本で胃内容物として魚類化石を伴う例が知られている。しかし、ヒファロサウルスの既知の化石が何千も存在するにも拘わらず胃内容物としての魚類化石を伴う標本が少ないことから、魚類よりもむしろ柔らかな体を持つ動物を主に捕食していたことが示唆される[5]。
出典
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