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ピエリア県

ギリシャ共和国の中央マケドニア地方を構成する行政区 ウィキペディアから

ピエリア県
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ピエリア県(ピエリアけん、Πιερία / Pieria)は、ギリシャ共和国中央マケドニア地方を構成する行政区(ペリフェリアキ・エノティタ)のひとつ。県都はカテリーニ(カテリニ)。

ピエリア県
Περιφερειακή ενότητα Πιερίας
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地理

位置・広がり

ピエリア県はマケドニア地方の南部に位置する、同地方最小の県である。県名は、古代のピエレス人に由来する。県の南および南西はラリサ県、西はコザニ県、北はイマティア県とそれぞれ接している。西部にはピエリア山脈が連なり、東部はテルマイコス湾に面している。ギリシア神話に登場するオルペウスムーサの故郷とされるピレウス山や、神々が住まう地とされた国内最高峰のオリンポス山がある。

県内にはディオンピドナプラタモナスといった歴史的地域が多く存在する。

気候

ピエリア県の気候は、主に夏が暑く、冬が涼しい地中海性気候である。しかし、県中央部や西部、ピエリア山脈オリンボス山では、厳しい冬の気候となる。

主要な都市・集落

最大の都市はカテリニ(カテリーニ)。人口4000人以上の都市は以下の通り。

  • カテリニΚατερίνη : カテリニ市) - 50,510人
  • リトホロ英語版Λιτόχωρο : ディオ=オリンボス市) - 6,697人
  • エギニオ英語版Αιγίνιο : ピドナ=コリンドロス市) - 4,280人
  • レプトカリア英語版Λεπτοκαρυά : ディオ=オリンボス市) - 4,225人
  • コリノス英語版Κορινός : カテリニ市) - 4,054人
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歴史

古代のピエリア人 (Pieres) トラキア系の人々で、ピニオス川河口とアリアクモン川の間で、オリンポス山の麓にあたる丘陵地や平地に居住していた。後にマケドニア王国ローマ帝国ビザンツ帝国の支配を経て、オスマン帝国の統治下に入った。1821年のギリシャ独立戦争においては、ピエリア県の住民もオスマン帝国に対して蜂起したものの、ギリシャ王国への編入は認められず、1913年のバルカン戦争で初めてギリシャ領となった。1947年までは、ピエリア県はテッサロニキ県の一部であり、1つの州を構成していた。ピエリア県がギリシャ領となってからは、農業や商業において経済的に発展した。希土戦争中には、小アジアギリシャ人が多く移住し、ネア・トラペズンダ(『新トレペズンダ』)やネア・エフェス(『新エフェソス』)といった集落が、避難民たちによって建設された。またこの頃には道路が舗装され、カテリーニの町では電気が敷かれた。第二次世界大戦ギリシャ内戦の後、ピエリア県は再建されたが、県外へ移住する人々は多かった。1960年には県内全土に電気が通り、その後もインフラストラクチャー整備は進んだ。2007年には、豪雨による被害を受けた。

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行政区画

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ピエリア県

市(ディモス)

ピエリア県は、以下の自治体(ディモス、市)から構成される。人口は2001年国勢調査時点。

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旧自治体(ディモティキ・エノティタ)

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ピエリア県の旧自治体(1999年 - 2010年)

カリクラティス改革(2011年1月施行)以前の広域自治体(ノモス)としてのピエリア県(Νομός Πιερίας)は、以下の基礎自治体(ディモス)から構成されていた。改革後、旧自治体は新自治体(ディモス)を構成する行政区(ディモティキ・エノティタ)となっている。

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交通

スポーツ

外部リンク

、西はコザニ県、北はイマティア県

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