トップQs
タイムライン
チャット
視点
ファイク・ボルキア
ウィキペディアから
Remove ads
ファイク・ジェフリ・ボルキア(マレー語: Faiq Jefri Bolkiah、1998年5月9日 - )は、ブルネイのサッカー選手。ブルネイ代表主将[1]。ポジションはMFもしくはFW。ブルネイ国王のハサナル・ボルキアの甥としても知られる[2]。世界的に裕福な家系に生まれ、選手としての実績は無名であるが、世界一資産の多いサッカー選手である(2兆1390億円)[3][4]。
Remove ads
クラブ歴
2009年、AFCニューベリーの下部組織に在籍した時に、1年契約でサウサンプトンFCのアカデミーに移籍[5][6]。その後、レディングFC[7]、アーセナルFCの下部組織にも在籍した[7][8]。アーセナルでは2013 ライオンシティカップに出場しSCコリンチャンス・パウリスタ、アイントラハト・フランクフルト、PSVアイントホーフェン、シンガポール国立フットボールアカデミーと対戦、シンガポール国立フットボールアカデミーから1得点を奪い、2-1の勝利に貢献した[9]。2014年に2年契約でチェルシーFCに移籍した[10]。2016年夏に契約満了であったが、2015年12月に退団しストーク・シティFCのトライアルに参加した[11]。2016年3月に3年のプロ契約でレスター・シティFCに移籍した[12][2]。当初はU-18チームの所属であったが、2016年7月にU-23チームに昇格[13]。
Remove ads
代表歴
アメリカ合衆国ロサンゼルスの生まれであるため、アメリカ合衆国代表として出場する権利も持ち合わせており、ユース年代ではアメリカ合衆国代表からもスカウトされた[15]。しかし彼はブルネイ代表を選択し、U-19、U-23のレベルで出場した[12]。2015年東南アジア競技大会のメンバーにもなった[15][16]。同大会では東ティモール代表から得点を奪ったものの、1-2で敗北した[17]。
2016 AFFスズキカップ予選でA代表のメンバーにも選出されたため、2016年10月15日の東ティモール代表戦では代表初出場も期待された[18]。この試合で彼はスターティングメンバーに名を連ねて代表初出場、フル出場を果たし2-1の勝利に貢献した[19]。21日のラオス代表戦でPKを決めて代表初得点となった[20]。その後、AFCソリダリティーカップでは18歳にして同国代表の主将に就任、決勝トーナメントから出場した[1]。
Remove ads
個人
父親はブルネイの元財務大臣ジェフリ・ボルキアで[16]、叔父はブルネイ国王のハサナル・ボルキアである。ロサンゼルスで生まれたため、アメリカ合衆国籍も保有している[15][21]。英国のブラッドフィールド・カレッジに在籍した[6]。
個人成績
- 2016年11月10日現在[22]
代表での得点一覧
参考文献
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads