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フェリックス・ジアン
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フェリックス・ジアン(Félix Ziem、1821年2月26日 - 1911年11月10日)はフランスの画家である。ヴェネツィアの風景など多くの風景画を残した。「バルビゾン派」の画家の影響も受けた。
略歴
コート=ドール県のボーヌでポーランド系の移民の父親[1]とブルゴーニュ生まれの母親の間に生まれた。父親はナポレオン戦争の時、プロイセン軍の兵士で、捕虜になりフランスに住むようになり、仕立て屋になったとされる。始め建築家を目指し、ディジョンの美術学校で学ぶが1839年に中退し、マルセイユで働く兄のもとで建築家として働いた。画家に転じ、マルセイユで美術学校を始め多くの学生を集めた。港町、マルティーグの風景を描くようになり、1841年にはイタリアを旅し、ヴェネツィアの風景に感銘を受けた。ニースなどで裕福な顧客に風景画を売って暮らし、1847年までイタリアや南フランス各地を旅した。1849年にパリに移り、「バルビゾン派」の画家、テオドール・ルソーとジャン=フランソワ・ミレーと知り合い友人になった。
1849年のパリのサロンに初めて出展して、その後出展を続けた。 1859年に、モンマルトルに住むようになったが、しばしばバルビゾンを訪れた[2]。1880年にニースにもアトリエを開き、多くの期間をニースで過ごした。
長命、多作な作家で生涯で10000点以上の作品を残したと推定されている[3]。多くの風景を描いたマルティーグの街に、作品を寄贈し、1908年に自治体によってジアン美術館(Musée Ziem)が設立された。
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作品
- ヴェネツィアの運河
- ヴェネツィア
- トゥーロン港のイタリア艦隊を訪れるフランス大統領(1901)
- イスタンブールの風景
- 牧草地の牛
- 月明かりに照らされる漁師
脚注
参考文献
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